『学び合い』 流動型『学び合い』 学びのカリキュラム・マネジメント アクティブ・ラーニング

nao_takaの『縦横無尽』

小学校教員なおたかのブログです。『学び合い』(二重かっこ学び合い)を実践しています。単著「流動型『学び合い』の授業作り」を上梓しました。お手に取っていただければ幸いです。

単元を任せるために 2

昨日の続きです。

さて、わたしはなぜ単元を任せる際に「途中でチェック」を行わないのでしょうか。

それは昨日書いたように、「教員には絶対に見きれないから」であり、「そうなると、集団の成長が阻害されるから」です。

もう少し詳しく書いていきます。

 

 

教員は児童の学習の全てを把握し、完璧に評価することは可能でしょうか。

「可能だ」という方もいるかもしれませんが、わたしは不可能だと考えます。少なくとも私はどんなに頑張っても不可能です。例えば、「出来ていない子」がいて助けて欲しいのに気付かない場合が多々あるでしょう。「分かったつもり」に気づかないこともあるでしょう。

もちろん、出来ていなくて困っている子や分かっていないのに分かったつもりの子を放っておいて良いとは思っていません。でも、無理なことは無理なのです。ですから、まずは「無理だ」ということを認めるようにしています。

それでも担任が途中でチェックしようとしたら、どうなるでしょう。

例えば、担任がチェックしきれず分からないままテストを受けて出来なかった時。悪いのは「担任」です。「チェックできなかった先生が悪いね。ごめんなさい」ということです。そうなると集団は頑張りません。教員を応援し助けてくれる子はいるかもしれませんが、集団の責任だとは思っていないでしょう。「出来ない子がいるのは、集団の責任だ」とならない限り、「出来ない子」がどんどん増えていってしまうでしょう。

 

 

「出来ない子がいるのは、集団の責任だ」と考える集団を育てるためには、集団を信じて任せなければいけません。「出来ていない子がいないか」を探すのも「出来ているかどうか」を確認するのも「出来ていない子に教える」のも、全て集団の役割とし、任せるのが『学び合い』でしょう?そこまで任せるから、集団が成長します。教員が余計なことをしているとその成長を阻害するのです。

 

 

まあ、普通の考え方をする人なら「そんなことは間違っている」とおっしゃるでしょう。わたしのことが「無責任なダメ教師!」と映るでしょう。仕方のないことだと思います。『学び合い』の教員でも「そこまで任せるの?出来ない子がいるのは先生の責任でしょ?」と言う方が多いかもしれません。

でも、「出来ていない子がいるのは、集団の責任だ」と考えないことは集団にとって大損なんです。それを理解し、リアルに語れる教師でありたいと思っています。

というか、ウチのクラスは任せなかったら怒りますから。

自慢です。

 

かといって、放っておけば勉強するわけじゃないのは当たり前。

「なおたかが『チェックするな』と言っていたからチェックしない」なんてLevelで考えていたら失敗すること間違いなしなので、お気を付けください。

この話を詳しく聞きたい方は、明日の「仙南の会」

【公開版】第7回『学び合い』仙南の会(宮城県) | Facebook

へどうぞ。わたしも参加します。

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