『学び合い』 流動型『学び合い』 学びのカリキュラム・マネジメント アクティブ・ラーニング

nao_takaの『縦横無尽』

小学校教員なおたかのブログです。『学び合い』(二重かっこ学び合い)を実践しています。単著「流動型『学び合い』の授業作り」を上梓しました。お手に取っていただければ幸いです。

より自然

『学び合い』は、あらゆる面で「一斉指導」より上、なのでしょうか。
わたしはそうは思いません。
極短期間だけを見れば、「おいおい、『学び合い』なんてやめてくれよ。俺が一人ぼっちなのがばれちゃうじゃん!」という子が絶対に居るでしょう。そういう子の中には「一斉指導の方がまだマシだ」と思っている子が多いかもしれません。
また、「勉強は先生に教えてもらうものだ」というスタンスの児童・保護者も一定数いるでしょう。そういう子は『学び合い』が「タチの悪い先生による放任」と感じられるでしょうね。 

 

と言いつつ、どっちを選ぶかと言えば、わたしは当然ながら『学び合い』です。
一人ぼっちの子の辛さは、もうちょっとだけ長い目で見れば改善する見通しがあるからです。わたしの経験上、数人が声をかけてくれるというレベルなら2〜3時間、一人でいることが減って目立たなくなるというレベルなら2〜3か月で可能です。『学び合い』でなければ、その間ずっと一人ぼっちです。この違いはどれくらいの差かというと、例えば「アンケート」で「あなたは、友達から無視されたり、仲間はずれにされたりすることがありますか」というような設問に対し「ある」から「あまりない」に変化するくらいの違いがあります。これ、当事者にとっては大違いですよね。

 

また、「勉強は先生に教えてもらうものだ」という意識が集団内に根強く存在し、さらにはそれが学級の「6割」に影響を与えているような場合もあるでしょう。勉強=一斉指導。そう考えている人が圧倒的大多数ですから。その場合は、最初は教えちゃえば良いと思っています。これもちょっと長い目で見て、本当は勉強というのは『教えてもらう』よりも『学び合い』の中で得る方が実りが大きい」ということを経験的に理解してもらうしかありません。もしかしたら「その子」に直接的に届けるのは無理かも。でも、「6割」が理解し、その上で「一人も見捨てない」を涵養させていれば、その子も巻き込めますから。

この辺りのさじ加減は文章には非常にしにくいですね。

 

どちらにしても大切なのは、短期的に解決しようとしないことだと思います。

校庭に白線を引く時と同じですよね。近くばかり見ているとブレてぐねぐね曲がります。まっすぐ引くコツは遠くを見て進むこと。そうすれば、ブレが少なくなります。

どんな集団を育てたいのかを明確にし、それを包み隠さず集団に示し、それがどれほど個々の幸せに繋がるのかを語り、それを実現できない自分の限界を認め、集団の力を信じて任せる。些細な結果に一喜一憂せずに、成果を認め、失敗を励まし、怠惰を突っつきつつ、成長に感動する。教員自身が時々緩み、はっとし、謝罪し、また任せる。

わたしがやっていることなんて、こうやって文章にするとごくごく当たり前で、つまらないものですね。わたし自身がごくごく普通でつまらない人間なのですから、そりゃあそうですが。そんなわたしが、単時間で集団に魔法をかけることはできません。

長い目でコツコツとやることが、『学び合い』のコツかもしれません。長い目で見れば、絶対に「一斉授業」は無理が出ます。だって、そこには「嘘」があるから。

『学び合い』は長い目で見れば見る程改善します。だって、一斉指導より自然なんです、『学び合い』は。ただし、ちゃんと『学び合い』をやれば、です。ちゃんとね。