『学び合い』 流動型『学び合い』 学びのカリキュラム・マネジメント アクティブ・ラーニング

nao_takaの『縦横無尽』

小学校教員なおたかのブログです。『学び合い』(二重かっこ学び合い)を実践しています。単著「流動型『学び合い』の授業作り」を上梓しました。お手に取っていただければ幸いです。

目が合う

授業中、わたしは子供達を見過ぎないようにしています。見過ぎると、どうしても余計な口出しをしてしまうからです。

坂内さんがよくおっしゃっているように、見ていなくても「声」を聞いていると勉強の質が分かります。良い勉強をしている時はしっとりゴニョゴニョとした声ですが、キンキンとした声が聞こえる時は要注意。何らかの問題が生じています。見ていても分からないような小さな綻びが声に現れるのです。

幸いにして、わたしのクラスの声がキンキンするのはたまにですから、普段はしっとりとした声に安らぎながら、丸付けをしています。

そんな風に丸付けをしていて、ふと顔を上げて教室を見回していると、子供達と目が合うことがあります。1日の間に何度も。最初は、それだけ子供達がわたしを見ているということなんだなあと思っていました。

 

でも、最近になって、それだけじゃないような気がしてきました。

もしかして、わたしはその子がわたしの顔を見るタイミングに合わせて、その子の顔を見ているのかもしれません。何で分かるのか自覚はないし、多分、見逃していることも沢山あるんでしょうけれど、でも、目が合う時は偶然目が合うのではなく、目が合うと分かってその子の顔を見ているように感じます。

最初は「俺、テレパシーを身につけたのか!?」と思ったのですが、当たり前ですが、そんなはずはありません。

逆に、子供達がテレパシーでわたしの視線を感じ取ってくれているのでしょうか。

 

ん〜、気のせいなんでしょうか。

見逃している場合の方が多いのでしょうか。

実は合ってないのでしょうか。

たまたまでしょうか。

 

ちょっと意識して考えてみたいと思います。