『学び合い』 流動型『学び合い』 学びのカリキュラム・マネジメント アクティブ・ラーニング

nao_takaの『縦横無尽』

小学校教員なおたかのブログです。『学び合い』(二重かっこ学び合い)を実践しています。単著「流動型『学び合い』の授業作り」を上梓しました。お手に取っていただければ幸いです。

トップランナー

先日、ある人と話していて「トップランナー」について改めて考えました。

わたしが「トップランナー」という言葉を使っているのは、「出来る子に押し付ける学級経営」との違いを意識してです。多くの学級では、「出来る子」に役割が押し付けられます。「上手い先生」は飴と鞭を上手に使って、出来る子を逃がしません。上手くその気にさせ、自尊心をくすぐり、時には脅し、出来る子に色々な役割をやらせます。「下手な先生」は出来る子に逃げられて、最悪の場合は学級崩壊です。

わたしにも、少なからず一部の子に「押し付ける」という側面があります。『学び合い』だって最初は、「教えられる子に教え役を頼む」場面が存在しますから。出来る子が疲れて嫌になってしまわないように、バランスを上手にとってあげる時期もあります。わたしも経験を積んで、多少は“上手な先生”になってきたのかもしれません。

でも、その押し付け状態は長く続かないのも分かっています。どんな教員だって長期間に渡ってバランスを取り続けるのは無理でしょう。

出来る子には、ストレスが溜まります。上手な人はそのストレスが教員には向かないようにしています。けれども、そのストレスが弱い子に向けばいじめになり、どこにも向けられない子がいれば「もう『学び合い』なんてやめてください」となるでしょうね。

 

そうならないためには、出来る子にやらせるんじゃなくて、「やりたい子」にやってもらえばいいじゃん!というのがわたしの作戦。「お前は算数が得意なんだから教えなさい」じゃなくて、「算数頑張りたい人ー?じゃあ、もりもり勉強しろよー」なんです。「頑張りたいなら、学び続けろよー」なんです。その「やりたくてやる子」がトップランナーなのです。そういう子に信頼してもらえるかどうかが、「飴と鞭で子供を操る」Levelの教員から脱せられるかどうかの分かれ目なんだと思っています。

 

わたしがこの考え方に辿り着けたのは、以前担任したある子のおかげです。Aさんとしておきましょう。Aさんは「成績」という面では抜きん出ていたわけではありません。でも、進んで汗をかき、苦手なことでもあきらめず、夢と向上心を持って学べる子でした。歯を食いしばって学べる子でした。自分が走るためには、仲間の助けが必要だと分かっている子でした。トップランナーという言葉は、Aさんのために使い始めたようなものです。

実直で熱かったAさんには、何度もわたしの「嘘」を指摘されました。わたしだって騙そうと思って嘘をついたのではなく、時には方便を使い、時には誤魔化す必要があったからなのですが、でも、そういう小さな揺らぎも、Aさんは見逃してくれませんでした。Aさんは、飴と鞭なんかじゃ動かない子なのです。その上、Aさんにだけ特別気を遣ったりなんかしたら、「依怙贔屓」の姑息さを見抜いて指摘してくるような子でした。Aさんのような子がいると身をもって知っているから、わたしは例え小学生相手でも決して甘く見ません。卒業していった後でも、Aさんから連絡がくるとちょっと背筋がピンとします。

 

同時に思うのです。

Aさんと同様に、わたしの揺らぎを見逃さずに観察している子は大勢いるはずなのです。Aさんはたまたま、それをわたしに分かりやすく示してくれていただけ。Aさんが特別なのではないのです。たまたま、Aさんだったんですよ、わたしにとっては。

そう考えて子供達の前に立つようになってから、他のトップランナーも育つようになりました。Aさんだけではなく、あの子も、この子も、にょきにょきと伸びていきました。「おお!お前がここまで成長するとは!」というドラマがどんどん起きるようになりました。やっぱりね。子供達の成長を阻害しているのは、わたしなんですよ、大抵は。

ですから、これを読んで「ウチのクラスには、Aさんみたいな子はいないなあ」と思った方は要注意かもしれません。見逃しているかもしれませんよ。クラスにいっぱいいるはずです、トップランナーになれる子が。いや、全員がなることだって夢じゃない。だって、学校には様々な学習があり、様々な場面があるんですから。そう信じているから、わたしは本気で求められるのです。リアリティーを持ってね。