『学び合い』は見た目も思想も従来の授業とは全く異なりますから、「やり方」を否定されることはいくらでもあります。初めて見た方は、大抵びっくりしますよね。
でも、明確な「結果」がでていれば、否定することは困難です。結果を無理やり否定しようとすると、「イチャモン」のようになっていきますから。
「偉い人」ほど結果を求めます。責任が重いからです。
結果を出す。そうすれば、負けません。
私はこの本の中で「学力テストの壮行会」の話が好きです。そうだよなあ、と思います。陸上大会では「いい記録を出してね」と言えるのに、学力テストでは「いい点数とってね」と言えないのは、なぜなんでしょう。そこにある種の「やましさ」を学校が感じているように見えるのはなぜなのでしょう。私にはまだ見えてきません。ただ、確実に言えるのは、よく使われる「勉強なんて楽しくやっていれば、自然とテストの点数も上がる」という言葉は危険だということ。何が危険かというと、“楽しくやっている勉強”と“テスト”が繋がっていないと、「全然できない子」が生まれてしまうでしょう。これは、私の実体験や周囲の観察に基づく確信です。
繋がっていないと、どんなに「一人も見捨てない」を強調したって、そいういう子が出てしまいます。小学校の場合、具体的に言えばワークテストで2割、3割といった得点の子。そういう点数が頻繁に出現する『学び合い』は要注意でしょう。なんて偉そうに言ってますが、私もそういう点数を取らせてしまうことはゼロではありません。もちろん、全面的に私の責任です。テスト後に振り返ると、反省点が山ほど出てきます。課題の出し方が悪いという場合もありますが、でもそれだけじゃなく、私の様々は言動が、テストで点を取ることを邪魔しているのです。例えば、「教科へのくだらないこだわり」とか「方法の押し付け」とかね。
私の場合、結果が出ない時の一番の理由はこれです。無意識のうちの教員による妨害。私だけではなく、多くの教員は、「テストなんて重要じゃないよ」「テストのために教育をしているわけじゃない」「テストじゃ本当の学力は測れない」「大切なのは○○だ!」等と思っているかもしれません。私だってそういう思いはあります。現状のテストで測っている学力とは違う学力が今後求められることも知っています。テストの点が幸せを保証するものじゃない、そういう世の中になったのだという話もあちこちで聞きます。
だから、無意識に、子供達がテストの点を取ることを妨害しちゃうのかも。
でも、今の子供達は、今のテストを受けるのです。テストの点数を気にしない子供や保護者もいますが、まだ少数派でしょう。現状においては、テストの点数に結びつかない勉強は教師の独りよがりと判断する人が大多数ではないでしょうか。
「この授業は、テストはできるようになりませんけれど、将来、きっと役に立ちますから」
だけでは、子供達は困ります。生涯の幸せにつながる力や将来的に求められる学力を伸ばすことを大切にしつつ、現状で求めらる学力も着けないと結果は出ません。
私が実感している『学び合い』の素晴らしさの一つが、この二種類の学力向上が融合した授業が可能なことです。念のため補足ですが、『学び合い』をやれば自動的に二つが融合した授業ができるわけではありません。だから私は、結果が出るように慎重に注意を払いながら、『学び合い』をやっています。