『学び合い』 流動型『学び合い』 学びのカリキュラム・マネジメント アクティブ・ラーニング

nao_takaの『縦横無尽』

小学校教員なおたかのブログです。『学び合い』(二重かっこ学び合い)を実践しています。単著「流動型『学び合い』の授業作り」を上梓しました。お手に取っていただければ幸いです。

敏感

教員として、児童の言動に敏感であろうと心がけています。

児童の行動と見取り、良い点・悪い点を見つけるだけでなく、いつもとどこが違うのかを敏感に感じ取りたいし、その差異に込められた意図も可能な限り正確に推し量りたいものです。それによって、児童個人はもとより、集団に対して適切な指導をしたい。そう願っています。

自分としては、20代や30代前半の頃よりも、そのためのアンテナの感度は研ぎ澄まされてきた、という自負は持っています。

 

例えば、昨日、クラスの中でちょっとしたトラブルがありました。Aさんが「ちょっと苦しそう」だったのです。私はその様子を見て、原因を直ぐに推測しました。集団に対して「気を付けなさいよ」という話をしました。後でAさんに確認すると、ビンゴ。その後は笑顔が戻りました。

Aさんがいつもと違うことを察知し、普段の様子と何がどう違うのかを見て適切な判断ができた、とまで言ったら言い過ぎですが、まあ、「ちゃんと見えたな」とは思います。

でも、そんな良いことばかりはありません。

今日は大失敗でした。

Bさんがいつもと違うように感じ、「多分、原因は・・・あれかな?これかな?」なんて考えていました。Bさんにも何度か声をかけました。

でも、本当は。。。。Bさんは発熱していました。我慢強いBさんは、多少体調が悪くても口に出さなかったのです。けれど、異変に気づいて保健室に行くことを強く進めてくれた子がいたおかげで早く分かりました。

 

もちろん、教員としてそういった判断が100%正しいことが理想だとは思います。でも、言い訳ではありませんが、見ただけで瞬間的に体温が分かることはありません。

「いや、私は絶対に正しい判断ができる!」

と言える人は一見素晴らしいようで、でも、危険だと思います。

私は自分の判断が正しくない場合もあると十分に分かっています。そして、それを子供達に隠しません。だからこそ、子供達が自分の判断であれこれ行動できるのだと思っています。もしも私が「俺が絶対に正しいのだ!」という振りをしていたら(そんなわけがないと当然ながらバレますが)、子供達はそれに合わせた行動をするでしょう。そうなったら、子供達の行動がどんどん分かりにくくなってしまいそうです。

 

子供達の言動を敏感に感じ取るアンテナを手に入れるためにも、自分の限界に対しても敏感でいるのが大切だと思っています。