『学び合い』 流動型『学び合い』 学びのカリキュラム・マネジメント アクティブ・ラーニング

nao_takaの『縦横無尽』

小学校教員なおたかのブログです。『学び合い』(二重かっこ学び合い)を実践しています。単著「流動型『学び合い』の授業作り」を上梓しました。お手に取っていただければ幸いです。

自らの課題

『学び合い』では、「多様な人と折り合いをつけながら、自らの課題を解決する力」こそが、学校で学ぶべきものだと考えています。これがどういうことか、なかなか難しい。私もまだまだうまく整理できません。

 

例えば「自らの課題」というと、教員はすぐに「多様な学習課題」や「達成すべき目標を一人一人変える」なんてイメージを持つと思います。私もそうでした。でもね、子供達をよくよ〜〜く見ていれば、そんな単純なものじゃないと分かります。

例えば、「次の算数のテスト、僕は目標100点!」「私は80点!」なんてのが「自らの課題」ではないのですよね。自分の夢の実現のために「算数が出来る」ことが重要な子もいれば、親に怒られない程度に出来ればいいやという子もいれば、算数に必要感が全くない子もいるんです。ですから、そういう必要感がない子は、私たちには想像もつかないような「点数なんかとは全く別のその子なりの課題」を持って学習しているのでしょう。

じゃあ、その課題って何かと言うと、「想像もつかない」んですよ(笑)。

でも、何となく推測はできます。例えば、あの子は、あの子との友情で勉強してるなとか、あの時の恩を返すために勉強しているな、とか。それに、語弊があるかもしれませが、「このクラスでは、嫌でも成長しなきゃならない!」という強制で勉強している子も少なくないようです。「強制」には嫌悪感を抱く人もいそうですけれど、でも、そうなんですよ。私のクラスにも何人かいます。「集団に流されて勉強をしている」という子。

そういう子の「自らの課題」って何でしょうね。私にはやっぱり分かりません。私程度じゃ、全ては見えませんから。

見えないからこそ、私は全員の幸せを求めます。

自分の限界を自覚し、「俺が幸せを与えることは無理。だから、全員の力で、全員が幸せになってくれ」と強く強く願い、それを「強制」します。「集団に流されて、気づいたら幸せ」なら、そんな強制があってもいいじゃないですか。

周囲と折り合いをつけながら、自らの課題を達成し、気づいたら自分も周囲も巻き込むようにして幸せにしている。

そんな人に私もなりたいし、私がなれないとして、教え子や我が子がそういう人になって欲しいというのが、私の願いです。そして、それを実現するための理論が『学び合い』なんだと思っています。