『学び合い』 流動型『学び合い』 学びのカリキュラム・マネジメント アクティブ・ラーニング

nao_takaの『縦横無尽』

小学校教員なおたかのブログです。『学び合い』(二重かっこ学び合い)を実践しています。単著「流動型『学び合い』の授業作り」を上梓しました。お手に取っていただければ幸いです。

評価

教師が児童に「良い評価」をする時って、ふた通りあるように感じます。
一つは、教師の想定通りにできたかどうか。
もう一つは、教師の想定を超えたかどうか。
前者の評価はしやすい。前もって準備できますから。でも、後者の評価は難しい。「想定外」ですからね。
想定外のことを瞬間的に褒められる力を付けたいと思っていますが、今のわたしにはまだまだ無理です。


じゃあ、どうするのか。
わたしは評価を「一時、保留」にします。なるべくその場では判断しません。ある行動が集団にとってプラスになるか、マイナスになるかは「結果」を見ないと何とも言えない面があります。わたしは、結果しか評価しないようにしています。(一方で、これは瞬間で判断しよう、と決断するための基準を持っていますけれど。)


『学び合い』初期は、瞬間的な評価はしやすいでしょう。
けれど、ある程度集団が出来てくると、そうはいかない場面が増えてきませんか?
例えば、朝一で会心の語りを行った日。1時間目にはトップランナーがモリモリ教えている。ひとりぼっちの子は居ない。教師としてはちょっと「安心」。なのに、2時間目にはトップランナー同士で固まっていたり、トップランナーが一人で学んでいたり。分からないままの子がいる。あれ?どうして?あの語りの賞味期限は1時間だけなの?と教師は「不安」。そして、叱りたくなる。
こんな経験をしたことが、わたしはあります。


でも、そこでふと立ち止まりたいのです。
もっとよく考えたいのです。
直ぐに理解できない行動があったら、視点を変えます。
もっと遠く離れてみると、わたしの視界に入っていない場所に原因が存在する場合があります。
ちょっとだけ近づいてみると、その原因に気づける時もあります。
その結果、保留して良かったという場合も多いですが、「まずい、これは一言釘を刺さなくちゃ」ということもあります。釘を刺して失敗したこともあります。気づいていないだけで、良かったと思った判断も、間違っていた可能性もあります。


子供達の「個」を見て判断していると、失敗しやすいんですよね。個をコントロールしたくなる。
集団を見て判断するように心がけています。集団が課題解決に向かっているかどうか。
一方で、場合によっては、ドーンとズームインして個人を見ます。そして、子供達にプレッシャーをかけるのです(笑)。


ちなみに、わたしがクラスに課すミッションは、「みんなで学び続ける人間になりなさい」というもの。
テストやレポートは、その途中の小目標。ですから、テストやレポートでも一応は評価しますが、その結果が悪くても「次行ってみよう!」。そこで喧しく叱りつけるようなことはありません。もちろん、「学び合っていない!」なんてことは注意しません。
普段は、「それで、学び続けられんのかい?」という思いを込めて、声をかけるだけです。