『学び合い』 流動型『学び合い』 学びのカリキュラム・マネジメント アクティブ・ラーニング

nao_takaの『縦横無尽』

小学校教員なおたかのブログです。『学び合い』(二重かっこ学び合い)を実践しています。単著「流動型『学び合い』の授業作り」を上梓しました。お手に取っていただければ幸いです。

鍵は教師

わたしは授業中、できる限り喋る量を減らそうと努力しています。
それは、「教師が喋らなくても、子供達が学ぶから」とも言えますが、それよりも「教師が喋らない方が、子供達が学ぶ」という言い方がより正しいと思います。
でも、いつでも黙っているわけではありません。伝えなければいけないものはあります。それが、多くの方が思っているよりも極めて少ないのです。極めて。
昨日の参加者の皆様には、それが伝わったでしょうか。
教師が果たすべき役割は何なのか。それを突き詰めることが、『学び合い』の神髄でしょう。
わたしは、まだまだ削りたいと思っています。


先週の仙南の会でも、昨日も、多くの質問を受けました。
「○○という問題は、どうすれば解決できますか?」
というような質問です。質問者の方は、「何をすれば解決するか」を求めているのだと思います。けれど、わたしは思ってしまうのです。
「その問題は、なぜ起きているのかな。誰が原因かな。」
言い換えれば、「何を削れば解決するか」を考えて欲しいなあと思うのです。


全てとは申しませんが、学級で問題が起きる時、その原因の多くは教師にあります。
鍵は教師なのです。
でも、その鍵には色々な余計なものがこびりついていて、鍵穴に入りません。
扉を開けるためには、こびりついた「思い込み」や「独りよがり」を削ぎ落としていく必要があります。
そうやって、まずは削ぎ落としていかないと、『学び合い』は続かないだろうと思っています。


昨日、若い先生から
「○○も指導しなければならないと言われるのですが、それはどうすれば良いのですか。」
と質問された時、
「○○が大切だと思うなら、それを課題にすれば良いのではないでしょうか。」
と答えました。それが不要だとわたし程度の人間が言っても、人の気持ちは変えられません。
それをやらなければいけない、と教師が思っているなら、子供たちにそう伝えた方が良いと判断して、そう伝えました。
でもね。
本当に必要かどうか、自問自答して欲しいと思います。そして、願わくば、必要ないと判断したことは、ばっさりと削ぎ落として欲しいものです。(でも、若い先生はそうはいかないんですよね。いろんなしがらみで。)