『学び合い』 流動型『学び合い』 学びのカリキュラム・マネジメント アクティブ・ラーニング

nao_takaの『縦横無尽』

小学校教員なおたかのブログです。『学び合い』(二重かっこ学び合い)を実践しています。単著「流動型『学び合い』の授業作り」を上梓しました。お手に取っていただければ幸いです。

何でもありは、何にもなし

『学び合い』は考え方です。
多くの人が、「考え方」とはどういうことか掴めていないように感じます。
まあ、わたしが掴めているという証拠はないのですが、でも、正直なところ、「わたしは『学び合い』の考え方が分からない」と悩む時期は通り過ぎました。これは、考え方を自分のモノにできたのか、もしくは勘違いの大馬鹿野郎なのかどちらかでしょう。


さてさて、わたしの理解では、『学び合い』は、「一人も見捨てない社会を実現するために必要な」考え方です。
「良い授業をする」「ちょっと良い雰囲気の学級を作る」という程度なら他に代わりが山ほどあるでしょう。でも、「一人も見捨てない」には『学び合い』しかないと思っています。と言うと「お前はなんて排他的なのだ!」とお叱りを受けそうですが、他に「一人も見捨てない」が実現可能な理論や授業があれば教えてください。繰り返しますが、良い授業、良い学級ではなく、一人も見捨てないことが可能なものがあれば。
『学び合い』なら、絶対とは言えませんが、一人も見捨てられない状態を作り出すことが可能です。少なくとも、わたし程度のLevelでもかなりいい線いきます。
わたしLevelの教師が一人も見捨てられない(この子は仕方ない、と切り捨てられない)学級を実現するには、3つのことを理解しなくてはいけません。


西川先生が言っていることに、わたしなりの解釈を加えて書きます。
一つは、「子供は、大人と同じくらい有能で、大人と同じくらい愚かである。つまり、子供と大人では能力的に大きな違いはない」という子ども観。
二つめは、「学校でしか学べない知識や技術はない。多様な人間と折り合いをつけて生きていく能力こそが学校で学ぶべきことだ」という学校観。
三つめは、「授業では、細かいやり方を規定しても無意味。それが合う子は極一部。でも、課題の設定とそれに合致した評価は必須だ」という授業観。
これが分からないと、「一人も見捨てない」集団は作れないでしょう。


多くの教師は、自分が子供達を見捨てていることに気付いていません。だから、『学び合い』の考え方を説明しても理解できないでしょう。見えないものは仕方ないのです。そこに関しては、わたしは達観しました。
また、『学び合い』を知ってはいても、なかなか考え方が腑に落ちない方もいるでしょう。それで良いとわたしは思います。わたしだって、最初から納得できたわけではありません。
加えて、今後は『学び合い』を考え方ではなくやり方として取り入れる人が増えるでしょう。仕方ないと思います。むしろ、『学び合い』の考え方を全員が理解できるはずがないし、全員が同じ考え方というのも気持ち悪いですから。


でも、『学び合い』は考え方なんだから、どんなやり方でもオッケー!何でもあり!というのは、大間違いです。そこは声を大にして言っておきたいと思います。
何でもありは、何にもなし。『学び合い』の考え方に合致したやり方なら何でもオッケー!なんであって、理論的な裏付けがなければ、『学び合い』ではなくただの放任になってしまうか、子供達に任せきれず動けない子が出るか、どちらかになるでしょうね。そして結局は、見捨てられる子が出るのです。


やり方Levelを求めている人を責めても仕方ないので、対策としては考え方Levelで語れる人を増やす道を選んで進んでいきます。

※一部、表現を変えました。