平凡な教師は、ただ話す。
良い教師は、説明する。
すぐれた教師は、自らやってみせる。
偉大な教師は、子供の心に火をつける。
ウィリアム・アーサー・ウォード
これって、的を得ているなあと思います。
そして、これは教師対子供だけではなく、教師と教師の関係でも当てはまるのではないでしょうか。
もしも、わたしが、若い先生に「ああだ、こうだ」とワケのワカラナイことをまくしたてたら、その先生は仕事がやりにくいでしょう。
「こうやってね」と説明して、それを理解してもらえれば、やってくれるかもしれません。でも、それって「やらされている」だけで、若い先生の成長には繋がりにくいでしょう。
わたしが「授業とはこうやるのだ!」とやってみせれば、理解しやすくはなるでしょうけれど、それも「同じようにやれ」では、若い先生の本当の成長とは言えないと思うのです。
若い先生に「高橋のような授業をしたい!」「高橋を越えてやる!」と思ってもらえる教師になりたいです。