『学び合い』 流動型『学び合い』 学びのカリキュラム・マネジメント アクティブ・ラーニング

nao_takaの『縦横無尽』

小学校教員なおたかのブログです。『学び合い』(二重かっこ学び合い)を実践しています。単著「流動型『学び合い』の授業作り」を上梓しました。お手に取っていただければ幸いです。

忘れてました!

昨日は「すんなりスタートできましたよ」という話を書きました。で、アップしてから「しまった!」と思いました。ある方から
「普通にやっていても、あなたのクラスのようにならないから!どうしてそうなるのかをちゃんと書きなさい」
と言われていたのに、どうしてすんなりスタートできたのかを書くのを忘れていました。

さて、どうして私のクラスは3学期をすんなりとスタートできたのでしょう。

その理由は単純なんです。それは私が「勉強するものだ」と思っているからです。
教員の考えは、無意識のうちにでます。

始業式の朝、子供達が私のところに来て「先生、今日の国語と算数って、何をやるんですか?」と聞きました。私は「進行表、用意してあるよ」と答えました。これだけで子供達はスイッチが入ったことでしょう。だから、その後に私が始業式の会場設営のために体育館に行き、それを終えて教室に戻ってきた時には、提出物は全部出されていて、「いつでも勉強できる状態」になっていたのだと思います。
もしも私が「初日から普通に勉強するなんて嫌かなあ」と思っていたら、それが態度に出るのだと思います。

別に、最初は「冬休みの宿題などの提出物を集めながら、落ち着きを取り戻す」クラスがあっても良いと思います。「思い出発表をして、暖かい雰囲気を作る」クラスがあっても良いと思います。それが本当に大切だと思っているのなら。教員の考えていることと、やっていることが一致していればクラスは崩れません。また、その考えが『学び合い』の3つの観と矛盾していなければ、学び合う関係性も崩れません。

私の場合は「今日から授業が入っているんだから、勉強するのが普通じゃん」と考えていて、その考えと行動が一致しているから子供達が納得してくれるのだと思っています。子供達はそれができると思っているし(『学び合い』の子ども観)、折り合いのつけ方を学ぶという意味では休み明けは絶好の機会だし(『学び合い』の学校観)、そのためには細かいことをごちゃごちゃやるよりも課題を与えて任せるのが一番だ(『学び合い』の授業観)という私の考えが、「進行表、用意してあるよ」に現れているのでしょう。

繰り返しますが、色々な考えがあって良いと思っています。でも、自分の考えと行動に矛盾がないか、『学び合い』の3つの観と矛盾がないかは、可能な限り自問自答するようにしています。