教員の本音は、無意識のうちに子供達に伝わるもの。
私はそれを「オーラ」とか言ってごまかし、言語化しないでいたのですが(だって面倒くさいんだもん)、頑張ってちょっとだけ書いてみます。
例えば、授業でやるべきことが終わって時間が5分余った時。
教員がもしも、
「じゃあ、頑張って早く終わったから、遊んでいいよ」
と言ったらどうでしょう。「頑張った」ご褒美に「遊んでいいよ」というニュアンスを子供達は感じ取らないでしょうか。遊びはご褒美。じゃあ、授業は何?「授業よりも遊びの方が子供達にとっては楽しい」そんな本音がこの言葉から伝わってしまうでしょう。
私は何て言ってるかな。
「5分もあるね。じゃあ、あれやってもいいよ」
そんな言葉をよく使っています。もちろん、遊んでしまう子もいます。そんな時には
「もったいないよ。5分あったら一つ賢くなれるよ」
という言葉もちょくちょく言っていますね。
こういった無意識の言葉の積み重ねが、学級の文化を形成するように感じます。
学級には勉強が好きな子も、そうじゃない子もいるでしょう。でも、教員が「授業って面白いじゃん」と思っていれば、それが何気ない一言として出て、勉強好きな子を勢いづかせるのでしょう。
もちろん、意識的に「勉強って面白いじゃん」という話もします。
今日はある子が「最近、授業が楽しめていない」と言ったので「だろうね。1学期の方が頑張ってたもん」とチクリと釘を刺しました。そういう意図的な言葉も必要かもしれません。
けれど、その言葉と、無意識の行動が一致しているかどうかが勝負の分かれ目でしょう。
「勉強を楽しもうぜ!」と言いつつ、無意識で「頑張ったから、遊んでいいよ」なんて言っていないかな。心の底から「勉強は楽しいぜ!」と思えているかな。
そんな視点で自分自身を見つめるようにしています。