『学び合い』 流動型『学び合い』 学びのカリキュラム・マネジメント アクティブ・ラーニング

nao_takaの『縦横無尽』

小学校教員なおたかのブログです。『学び合い』(二重かっこ学び合い)を実践しています。単著「流動型『学び合い』の授業作り」を上梓しました。お手に取っていただければ幸いです。

願いを形にするということ

今日は県の某研究発表会へ。

様々な研究発表が行われる会でした。

 

その中で、ある方の教育相談に関する発表が心に残りました。

具体的で分かりやすい方法を提示しつつ、でも、チクリと刺す提案性もあって。「学級の今この時」を良くするというだけではなく、子供達が将来、幸せになることを強く願っている。だけど、その「願い」を前面に出すのではなく、淡々と自分の「気付き」と子供達の「変容」を語っているのが良いなあと。願っているふりは誰にでもできます。本当に願っているなら、それをどうにかして形にしなくてはいけませんよね。

私が最も「やられた!」と思ったのは、

「小規模校の子供達はいずれは大きな集団に入るんだから早く大集団を経験させなきゃ、と焦るんだけれど、でも、小集団同士の交流による成功体験の積み重ねが、自信を作っていくんですよね。」

という言葉。

あー、その通りだよなあ、今年の私は焦ってるなあ、焦り過ぎだよなあ。

と一人反省しました。

正直、実践の手法自体は、ある程度勉強している教員からすれば「全部知ってますよ」という内容でした。でも、やっぱり、やり方じゃなくて、在り方なんですよねえ。この発表の後は会場が暖かくていい雰囲気に。この先生は良い先生だなあ、と感じました。

私のような「嫌な奴」には出来ない実践だし、発表です。

 

理念が美しかったり、構想が立派だったりする発表も多いのですが、でも、そういうのって意外と心に残らないんですよね。そういう理念や構想って「俺って凄えだろ!」っていう気持ちが透けて見えて。でも、凄さ自慢大会をしたら、私はそう簡単に負けませんから。そこには感動も感心もしないですよねー。

本当に俺って嫌な奴だー。

そして、自分の発表や提案もそっち系だー。

 

願いをどう形にしているのかを、言語化して提示する。

今までそれを難しく考え過ぎていたように思います。もっと肩肘張らずに、自分が何に悩み、どう変えたくて、何をしたのか・しなかったのか・やめたのか。それを隠さずに形にしていこうと思ったのでした。