『学び合い』 流動型『学び合い』 学びのカリキュラム・マネジメント アクティブ・ラーニング

nao_takaの『縦横無尽』

小学校教員なおたかのブログです。『学び合い』(二重かっこ学び合い)を実践しています。単著「流動型『学び合い』の授業作り」を上梓しました。お手に取っていただければ幸いです。

実感

私は、身近な方々にとって灰汁が強過ぎるらしい。私が「異質」なだけではなく、私のクラスが異質になっていくのだ。異次元と言ってもいい。きっと私の同僚は大変だろう。

そんな中、多様な人々と繋がることは、私の精神安定上不可欠になっている。作用と反作用のように、同僚の戸惑いと同じだけ、私は苦しむことになる。しかも、全員分が私に返ってくる。それに耐えるには、一人では無理があるのだ。多くの人と繋がることで、安定していられる。だから、本来は出不精な私だが、チャンネルを増やし、多様に繋がることを大切にしている。

『学び合い』の会に出るようにしたし、お声掛け頂いた時には可能な限り登壇等もしている。そういえば、来年の7月には北海道に呼んでいただいた。驚いたが、それ以上にありがたいことだ。

また、組合の活動に参加するのも、地元で学習会を開催するのも(今年度はあまりやれていないのだけれど)、より多くの人と繋がるためだ。市教委の指導員なんて“柄じゃない”仕事を引き受けたのも、自分のチャンネルを増やすためである。

 

私がある程度安定的に『学び合い』を続けられているのは、私自身が、多様な繋がりを持っていないと生きていけないタイプの人間だからだ。人間には多様な繋がりが必要なのだと、心の底から信じているので、子供達にも本気で求められる。また、小さな集団の中で浮いている子には「お前が悪いわけじゃないんだぞ。集団が大きくなれば、お前の苦しみは半減するんだ」とこれまた本気で励ましてやれる。小さな集団の中でお山の大将になっているような子に対しては「お前の小さな自信なんて、一人の異質な存在が現れただけで、吹き飛ぶからな」と真剣に心配している。

 

私自身が『学び合い』の理論に救われた人間なのだ。そして、子供達を見ていると『学び合い』が必要無い子が見当たらない。教員だって、他の大人だってそうだ。「多様な繋がり」があれば、もっと「楽」になるだろうに、と感じる。『学び合い』が広まって欲しいが、強制はできない。でも、私自身が実感を伴って語っていくことで、より多くの人の背中を押すことになればいいなあ。