『学び合い』 流動型『学び合い』 学びのカリキュラム・マネジメント アクティブ・ラーニング

nao_takaの『縦横無尽』

小学校教員なおたかのブログです。『学び合い』(二重かっこ学び合い)を実践しています。単著「流動型『学び合い』の授業作り」を上梓しました。お手に取っていただければ幸いです。

学び合いが複雑になっていくということ

『学び合い』に対して

  • 教える→教えられる

という単純な学習をイメージする人も少なくないようだ。確かに、『学び合い』を始めたばかりの時期は、そういう姿が目立つかもしれない。


ただ、『学び合い』をちゃんと見れば、子供達の学びはそんなに単純ではないことが分かる。授業の中で

  • 教えているつもりが、教えられる。

が頻繁に起きるからだ。例えば、こんなことだ。

A君がBさんに一生懸命に説明している。でも、分かってもらえない。違う説明の仕方を考える。それでも分かってもらえない。さらに違う説明を考える。それを繰り返していくうちに、A君の説明がどんどんグレードアップしていく。やっとBさんが分かった時には、説明していたA君がたくさんのことを学んでいる。


また、こんなこともある。

CさんがD君に教えている。D君は納得いかず、質問する。Cさんが答えるが、やっぱり納得いかない。D君も意見を出す。が、やはりどこかおかしい。二人でああだこうだ言い合っているうちに、「あ!分かった」となる。


さらに『学び合い』が続くと、学びの姿は大きく変化する。複雑なので、一言では表しにくいが、

  • 教え方や関わり方を学ぶ

と言えるだろうか。これがぴったりの表現だとは言い切れないが、ひとまず、こう表現しておく。

例えば、自分が得意な教科の時には敢えて一人で学ぶ子が増える。「誰にでも教える」ためだ。

「得意な子と苦手な子の中間」に陣取り、分からないことは得意な子に聞いて、分かったことは苦手な子に教えに行く姿も見た。聞きやすさと教えやすさを両立するためだろう。

前後のペアに対して90度の位置に机を置く子も見る。前後のペアと相談しながら学習していた。

他にも、「今日は集中したい」と教室の隅で一人の子もいる。数人のグループを作る子もいるが、他のグループに気軽に聞きに行けるようになる。そうなると、教える側と教えられる側が頻繁に入れ替わったり、『学び合い』と言いながらバラバラに学んでいたり、グルグル動き回る子がいたりする。

私の経験上、こういう状態になると、子供達は「アイランド型」の机配置を嫌う。以前、子供達から「最初から机を班の形にくっつけておくのは、やめさせて欲しい」と“抗議”された。「4人でくっつけていると、同じ班に意識が向きがちで、他の班とのつながりが途切れてしまう」からだそうだ。それ以来、机の配置について口出ししないことに決めた。

机だけではない。他の面でも、子供達の多様で複雑なつながりに対して、教員が手出し口出しすることは、容易ではない。


その複雑なつがなりは、私には「幾何学模様」に見える。私が何よりも美しく感じる学級の姿だ。自分の学級なのに惚れ惚れする。

 

「教える→教えられる」という単純な姿の『学び合い』を乗り越えて、 この美しさを味わえる人が、少しでも増えて欲しいと願っている。

同時に、私は「次」に行きたい。『学び合い』にはまだまだ先があるのは、分かっているのだが…。