『学び合い』 流動型『学び合い』 学びのカリキュラム・マネジメント アクティブ・ラーニング

nao_takaの『縦横無尽』

小学校教員なおたかのブログです。『学び合い』(二重かっこ学び合い)を実践しています。単著「流動型『学び合い』の授業作り」を上梓しました。お手に取っていただければ幸いです。

それでも出来ない時

世の中には優れた教育実践や教育技術がたくさんあります。多くの先人が素晴らしい遺産を残してくださいました。私は、それらを「使うべきではない」とは申しません。私もたくさん真似たり参考にしたりしています。

でも、忘れてはいけないと心に留めていることがあります。それは、「それでも出来ない子」に対してどうするのか、ということ。

 

例えば、計算の指導。計算が苦手な子に対して、指導者が何の手立ても取れなかったら、子供たちから信頼を得ることが難しいでしょう。ある程度の指導技術は無いよりは有る方がいい。でも、「それでも出来ない子」がいたらどうすれば良いのでしょう。教員が持っている指導技術では指導しきれない子がいたら、どうする!?

そんな時の教員の「立ち振る舞い」に、教員の本心が見え隠れするのでしょう。

私だったらはっきり言います。明るくあっけらかんと言います。

「そういうものなんだよ。先生の教え方と合わない人っているんだよ、必ず。だから、みんなは自分に合った方法で勉強するしかないんだよ。

でも、一人でできる人も少ないでしょう?だから、みんなでやるのが大切なんだよ。」

こんな感じで。

 

でも、こう言えるまで、なかなか難しかったというのが本当のところ。「先生はこんなに一生懸命説明してるんだぞ!もっとちゃんと聞け!」と怒ってしまったこともあります。「先生の教え方が悪かったね。ごめんね」と深刻になり過ぎてしまったこともあります。怒るのは論外としても、でも、深刻になるのも非常に良くないと思うんです。だって、それって「本当は先生ができるようにさせなきゃいけないんだ」という囚われの中にいるから出てくる言葉ですから。

もっと明るくいたいですよね。「先生だってそれなりの方法は知っているよ。でもさ、それでも出来ない人がいて当たり前。だから、みんなでやろうぜ。その方が得だよ」って。

 

私は灰汁が強く、ウザいタイプ。それを忘れると空回りします。