『学び合い』 流動型『学び合い』 学びのカリキュラム・マネジメント アクティブ・ラーニング

nao_takaの『縦横無尽』

小学校教員なおたかのブログです。『学び合い』(二重かっこ学び合い)を実践しています。単著「流動型『学び合い』の授業作り」を上梓しました。お手に取っていただければ幸いです。

情に流されないために

時々「学びから逃げているように感じられる子」に出会います。なかなかノートに文字が書けない子、問われても答えられない子、教科書やノートを出さない子、そんな子たちです。

もちろん、その子たちが「学びから逃げている」というのは、私の勝手な受け取り方。その子たちは逃げているつもりなどないのかもしれません。むしろ、そういう行動で何かを表明したり、表現したりといった積極的な行動なのかもしれないと感じる時さえもあります。

そんな時、私の中で葛藤が生まれます。その思いを受け取ってあげたいという「情」と、その労力を学級全員に対して費やしてやれないという「現実」の狭間で悩むのです。もし、「学びから逃げている風を装い、教員に何かを伝えようとする子」にばかり私が目を向けたら、そうする子がどんどん増えるでしょう。一人なら何とか目を向けられるかもしれませんが、それが複数になったら捨て置く子が出てしまいます。また、苦しさを分かりやすく表現できず、ひたすらに隠す子もいるはず。そういう子の存在が頭から抜けてしまうでしょう。

だから、情に流されてはいけないのだと、自分に強く言い聞かせます。私は、自分が単細胞なことも、短気なことも分かっています。情で動いたら、止まらなくなるのです。だから、努めて冷静に、時には仲間から「冷酷だな」と笑われるくらい(こういうことを、真面目かつ、笑って話せる間柄なのです)に、自分を律します。

 

時々、自分の「情」を前面に出して子供たちと接している方を見ると、羨ましくなります。情のままに流されたら、どれだけの快楽を得られるだろうか、と考えます。でも、それはあまりに刹那的です。先のことを想像すると、情を抑え込むしかないのです。

昨日は教室で涙がでました。でも、その数十分後には

「私はみんなの親ではないんだよ。『やってあげますよ』なんて言わないよ」

と突き放した話をしました。また、最初に書いたような子供たちには、

「学校は勉強するところです。勉強しなさい」

と冷たく命じます。

子供たちが可愛くて、大好きだからこそ、情に流されてはいけないのだと、自分に言い聞かせています。