『学び合い』 流動型『学び合い』 学びのカリキュラム・マネジメント アクティブ・ラーニング

nao_takaの『縦横無尽』

小学校教員なおたかのブログです。『学び合い』(二重かっこ学び合い)を実践しています。単著「流動型『学び合い』の授業作り」を上梓しました。お手に取っていただければ幸いです。

私の印象ですが

しっかりとデータをとったわけではなく、あくまでも私の印象ですが、私が『学び合い』を始めた頃は、

  1. 『学び合い』なんてオカルトだ。○○という問題が起きるはずだ。
  2. 『学び合い』なんて嘘っぱちだ。だって、私がやってもうまくいかなかった。

という批判を多く目にしたように思います。
1に関しては、「そうだろうな」と思う指摘もいくつか見ました。例えば「『学び合い』では、タダ乗り(集団に貢献しない子)もでるだずだ」という指摘。なるほど、ありえます。でも、問題が起きない集団なんてあるでしょうか。『学び合い』でも問題が起きないわけではありません。問題が発生した時、それを教員が一人で解決するよりも、集団に「解決しよう!」と求める方が、集団が育つよ、ということです。そして、それは教員が集団に丸投げするわけではありません。「なるほど、解決する方が得だな」と集団の一定以上に納得させることが、教員の最大の役割です。そして、そのためには教員は「色々」とやることがあるのです。それが難しいから、2のような批判が生まれたのでしょう。

 

ということが広まってくると、批判の中身も変わってきたなあと思います。ちょっと前から

  1. 『学び合い』は学級経営が上手くいっている学級でこそ機能する。そうでない学級では無理だ。
  2. 『学び合い』は力量の高い教員しかできない。
  3. 『学び合い』は○○は効果があるだろう。でも、○○は無理だ。

という批判を目にすることが増えてきました。一気に増えたというより、昔の批判が徐々に減って、こっちの批判が反比例して増えたように感じます。

これって、大きな変化だと思うんです。以前は、わかりやすく書くと「『学び合い』なんて嘘だ」という批判です。インチキ呼ばわり。でも、徐々に「『学び合い』は悪くはないが、でも・・・」という話に変わってきたわけですよ。

『学び合い』が少しずつ認められてきたなあという印象。

この印象、それほど大きくは外れていないと思うんですよね。そして、これからますます広まっていくでしょう。

 

だからこそ、私は『学び合い』の難しさについても語っていきたいと思います。「みなさん、『学び合い』をやりましょう!『学び合い』はあなたの悩みを解決します!」という言葉を否定はしません。そうあって欲しいから。

でも、『学び合い』をやってみたけれど、上手くいかない、という人がいても落ち込まないで欲しいのです。そりゃそうです。『学び合い』は難しいんですから。というか、教育という営みが難しいんですよ、『学び合い』に限らず。だから、上手くいかない時もあります。私だってあります。ちなみに、今日の授業は上手くいかない、を通り越して、全然ダメでしたね。開き直っちゃいけないのですけれど、でもね、「毎日完璧です」という授業をやっている人なんていないでしょう?いろんな日があって、子供達は成長していくのですから。

私は、2011年に「これから『学び合い』がこの地域の、福島の未来を拓いてくれるんじゃないか」という予感を抱きました。多分、これ、外れていないと思うんです。これからも泥臭く継続していきます。