『学び合い』 流動型『学び合い』 学びのカリキュラム・マネジメント アクティブ・ラーニング

nao_takaの『縦横無尽』

小学校教員なおたかのブログです。『学び合い』(二重かっこ学び合い)を実践しています。単著「流動型『学び合い』の授業作り」を上梓しました。お手に取っていただければ幸いです。

何年も残るように

西川純先生のブログに、このようなことが書かれていました。

妄想 - 西川純のメモ - 『学び合い』

私としては

「一人も見捨てない」という願いを持たないままに『学び合い』っぽい授業スタイルを実施する先生

がどんどん出てきて欲しいと思っています。近くにいて欲しいです。「一人も見捨てない」という願いを持っていない人は『学び合い』をやるべきではない、なんて思いません。もちろん、そういう方はなかなかうまくいかないでしょうけれど。でも、そういう人でも『学び合い』をやって欲しいです。考え方レベルじゃなくて、方法レベルで構いません。

 

もし、そういう方が同じ学校にいたら、私が勝手に教室に入って、状況を見取って、勝手に語ればいいのです。私が同僚に『学び合い』を勧めた当初は、似たようなことは度々やってきました。失敗なく『学び合い』をスタートしてもらうためです。そして、「自分でも語るんだよ」と任せていきました。が、もし、最後まで任せられない場合は、私が語り続ければいいのです。

 

もし、そういう方が私の教え子が進学する先にいたら、それはめちゃくちゃラッキーなこと。もちろん、願いを持って『学び合い』に取り組んでくれる方がいれば、その方が良いに決まっています。けれど、そういう方が少ないのは分かりきっていることです。ですから、私が担任しているうちに「一人も見捨てないことは得なのだ」という実感を得て、何年先も残るようにしていればよいのです。その願いを子供達が持っていればいいのです。それができなかったら、それは私の責任です。

 

ただし、私が何らかの形で関与できるのは「近い場合」だけです。ちょっとでも遠いとそうはいきません。ですから、同時に「一人も見捨てない、という願いを共有してくれる仲間」も増やさなければいけません。そういう濃い人も、もちろん必要です。が、多くはないでしょう。

ですから、繰り返しになりますが、「一人も見捨てない」という願いが薄い人が増えてもいいのです。問題は、そこまで影響を及ぼすだけの濃さを、私が持てるかどうかなのです。