『学び合い』 流動型『学び合い』 学びのカリキュラム・マネジメント アクティブ・ラーニング

nao_takaの『縦横無尽』

宮城県で働く小学校教員なおたかのブログです。『学び合い』(二重かっこ学び合い)を実践しています。2月に単著発売予定「流動型『学び合い』の授業作り」発売

はい、どうぞ

嫌われるのを覚悟で書きます。

 

私は昨日のセミナーで

『学び合い』は考え方だから、どんな授業の形でも「よい」と言われます。では、「はい、どうぞ」以外で、「一人も見捨てない」に近づける『学び合い』による授業とは、具体的にどんなものがありますか?

と皆さんに問いました。ちゃんと記録したわけではないので、言葉の詳細は異なるかもしれませんが、趣旨はそういうことです。が、答えは得られませんでした。

『学び合い』について私なりに考え、実践してきた結果からは、『学び合い』による授業であるならば、「はい、どうぞ」の形にせざるを得ないというのが、私の結論です。そうでないと、「一人も見捨ててはいけないよ。見捨てると、自分が損をするんだよ」と語り、「みんなには、力があるよ」と伝えている言葉が嘘だと子供集団に判断されてしまう可能性が極めて高いからです。(回りくどい言い方で申し訳ありません)だって、万人にフィットする方法はありません。何らかの方法を強制してしまったら、それだけで「フィットしていない子を考慮していない」という意味で、薄っすらと見捨てていることになってしまう可能性があります。ただし、『学び合い』による授業、つまり、「一人も見捨てない」を求める授業の場合です。

 

とは言え、色々な事情で「はい、どうぞ」が出来ないケースがあることも、承知しています。従来的な授業と見た目が全くことなる実践を行うのですから、周囲との摩擦を減らし、軋轢を避けるために、「はい、どうぞ」が出来なくても「仕方ない」でしょう。周囲とは、同僚や上司、保護者に加え、児童も含みます。いや、私自身が長年身につけた「常識」とぶつかることもあるかも。私だって、「はい、どうぞ」で全授業を行うのは容易ではありません。それなりに悩むし、苦しむし、失敗しています。そして、それを乗り越えるために知恵を絞っています。大変さを身をもって知っているからこそ、できない方がいても「仕方がない」と感じます。

でもね、「よい」と「仕方ない」は、ちょっとの違いが大違いではないでしょうか。「仕方ない」を「あってもよい」と表現している場合もあるでしょうけれど、気持ちの持ち方として、「どんな授業の形でもよい」と「仕方ない」には決定的な違いがあるでしょう。そこに、『学び合い』を継続する「在り方」があるのだと思うのです。

私の文章力では、これをすっきり書くことは無理です。何度か挑戦しましたが、書ききれませんでした。このエントリーもごちゃごちゃですね。ああ、悲しい。だからこそ、昨日、皆さんの力を借りて言語化に挑戦しました。が、イマイチ上手くいきませんでした。。。それが悔しい1日でした。ただ、フリートークの時間に中学校数学の先生の質問から始まった数名の方との対話では、ヒントをいただいたような気がします。

それは、具体例を重ねることで見えてくるものがあるということ。つまり、、エピソードで伝えるということ。今後に生かせそうな発見でした。

 

「はい、どうぞ」ができる教員は、それほど多くないでしょう。それぞれ色々な事情がありますから。でも、増えて欲しいと願っています。全時間を「はい、どうぞ」の教員が少しいて、頻度は違えど時々は「はい、どうぞ」の教員が多くいて、自分ではやらないけれど「はい、どうぞ」に驚かない教員がいる。そんな感じにまで広がったら最高ですね。増えて欲しいんです、全時間「はい、どうぞ」の人が。多くの人が「はい、どうぞ」に驚かなくなるためには、やっている人が増えないといけないでしょうから。