『学び合い』 流動型『学び合い』 学びのカリキュラム・マネジメント アクティブ・ラーニング

nao_takaの『縦横無尽』

小学校教員なおたかのブログです。『学び合い』(二重かっこ学び合い)を実践しています。単著「流動型『学び合い』の授業作り」を上梓しました。お手に取っていただければ幸いです。

序列の崩壊

私の学級経営の大きな弱点に、「学級内の序列が急激に変化し、一部の子が“急落”してしまうこと」があります。
私は、多くの小学校の学級が「先生君主制だ」と感じています。専制君主制をもじったダジャレです。「学級王国」という言葉があるくらいですから、担任が君主として学級を治める、というモデルは昔から存在しているのでしょう。担任の意を汲んで行動できる「力のある子」が学級の中心となり、「他の子」が「下」の存在になっているのです。担任に悪気はありません。だって、みんなそういう学級を作っているから、自分もそうしているだけです。もし、そのモデルに従わなかったら、君主が存在しない「乱世の時代」=いわゆる学級崩壊になってしまう可能性が高いでしょう。
私も『学び合い』に出会うまでは、自分が君主となって君臨していました。だから、批判はしません。

けれど、私の理想は「民主的な学級づくり」です。私はそれを目指して学級経営を行なっています。誰が中心となって学級を引っ張るのかは、児童集団が決めればいいことです。私は、最初に「一人も見捨てない」という方針を示します。これは、「全員が平等である」ということと同義です。平等だから、誰も見捨てられてはいけないのです。「あの子は仕方ない」というのは差別に他なりません。児童は「一人も見捨てない」を目指す上で、誰が中心になるかを集団として決定します。私が「トップランナー」と表現している存在です。そのトップランナーは、時と場合によって入れ替わります。決して、序列化しているものではありません。児童集団の瞬間判断と無言の集団決定によって学級が経営されていくのです。

今までには、典型的な学級崩壊状態の学級を引き継いだことがあります。担任が君主になれず、混乱状態だった学級は、速やかに民主化します。混乱した集団で苦しんでいた子どもたちは、すんなりと新しい枠組みを受け入れてくれるのです。

また、前の君主が子どもたちの自由と権利に対する意識が高かった場合も比較的速やかに民主化します。前担任が児童集団に序列があることを良しとしていない中で生活していれば(結果的に、多少の序列が生まれていたとしても)「全員が平等である」という私の考えを受け入れてくれる素地が育まれているからです。

でも、時には民主化が進まない場合もあります。それは、学級の中に「特権階級」が存在している場合です。時々、学級に特権階級が形成されている場合があります。そこにいる子たちは、私の民主化学級経営に大反対します。そりゃそうです。「没落貴族」みたいには成りたくないでしょう。でも、私は容赦無く民主化を進めます。

その結果、今まで「下」となっていた子は生き生きとします。多くの場合、物静かな子です。男子もいないわけではありませんが、女子が多いようです。周囲から度々「高橋が担任になって、◯◯さんが変わったね」と言われるのですが、それは決まって、4月当初は自己主張が苦手だった女子児童でした。その変化は劇的です。それにもっとも敏感に気づいてくださるのは、養護教諭が多いというのも、分かる方には分かってもらえるでしょう。

物静かだった子の劇的な変化は、今までの序列が崩壊したことを意味します。今まで「下」だった子が相対的に上がり、今まで「上」だった子が相対的に下がるのです。そのため、下がった子は辛いし、恐怖心があるようです。まあ、そりゃそうですよね。『学び合い』では「一人も見捨てるな」と求めますから、その子が新たないじめのターゲットになる可能性は高くはありません。けれど、今まで好き勝手してきた子が本当の意味での「仲間」になるのは簡単なことではないでしょう。そういう子自身が、自分が下になったことを受け入れるにも時間がかかるようです。ここに私の学級経営が「ごちゃごちゃ」「グダグダ」する要因があると気づきました。

これは私の学級経営の「宿命」と受け入れるしかないのでしょうか。でも、できることなら、序列崩壊のショックは少なくしてあげたいとも思います。
また、この仕事は何かを掴んだと思ったら、すぐに新しい課題が出てきて、終わりなき戦いが続くのだなあと半分ワクワク、半分うんざりします。修行はまだまだ続くようです。

 

ちなみに、私がこの気づきを得たのは、この本の影響が大です。

この本には、次のように書かれています。

前者のような中心都市では文字通り「コミュニケーション能力」が〈スクールカースト〉の決定的要因として顕在化するけれど、後者のような郊外都市では純粋な「コミュニケーション能力」以上に、実質的な〈ヤンキー〉のカーストが高くなる。(P17)

小学校の場合、「コミュニケーション能力」が〈スクールカースト〉を決定するとまでは言えず、むしろ、担任の接し方が児童の序列に影響を与えることが多いでしょう。けれど、子ども集団の力関係を把握し、さらには自分がどんなタイプで、集団にどういった対応をすべきかを考える上で、ヒントとなることが盛りだくさんです。例えば、私はこの本を基に、ヤンキーとまではいかなくても、ルールを破り、あえて「怒られる」ことで学級での地位が上がるのだということが掴めました。ですから、意識的か無意識かは分かりませんが、怒られると得をする子がいるのです。怒っても止めないはずですよ、そりゃあ。