『学び合い』 流動型『学び合い』 学びのカリキュラム・マネジメント アクティブ・ラーニング

nao_takaの『縦横無尽』

宮城県で働く小学校教員なおたかのブログです。『学び合い』(二重かっこ学び合い)を実践しています。2月に単著発売予定「流動型『学び合い』の授業作り」発売

忘れられるなら、忘れたい

7年が経ちました。

去年の終わりに、震災に関する依頼を二ついただきました。一つは、堀さんが主催なさっている札幌でのセミナー。今まで語らずにいたことも含めて話をさせていただきました。場の温かさと参加者の皆様のおかげで何とか最後まで話すことができました。もう一つは、小学館の「小六教育技術」に小特集を組んでいただき、寄稿しました。震災以降一緒にもがいてきた仲間と一緒に書けたことが、私にとって何よりも嬉しいことでした。

7年が経ち、子供達にとっては震災は過去のものになっています。私の娘は3歳でした。私の息子は0歳でした。当然ですが、息子は全く記憶にありません。娘はぼんやりとは覚えているようですが、残っている記憶は断片的ですし、後から聞いた話と混在して覚えているようです。まあ、それで良いのです。いちいち覚えている必要のない記憶です。

ただ、あの時に何があったのかはしっかりと伝えておこうと思っています。私は地震の直後、津波が来るなんて微塵も考えていませんでした。地震が起きたのは金曜日。その二日後の日曜日には、海岸近くで開催されるイベントに参加申し込みをしていましたから、もし、地震が二日ずれていたら、私はどうなっていたか分かりません。
海のある街に住んでいる以上、津波の危険性は知っておかなくてはならないことなのでしょう。でも、子供達は、あの悲しい光景を覚えている必要はないでしょう。

 

私自身は、震災のことは忘れられません。
私は、見慣れた風景がのまれていくのをこの目で見ました。
瓦礫の中を縫うように通勤しました。
津波や原発事故によって住む場所を奪われた教え子の苦悩を目の当たりにしました。

そして今。
その海を見ながら、通勤しています。
瓦礫が片付けられ、荒野になったその土地も毎日のように見ています。
一見平穏を取り戻せたように見える人々でも、今も苦悩していることを知っています。
校内には放射線の測定装置が据え置きされています。
校庭にあった「仮設校舎」が撤去されたのは、数か月前です。原発事故に伴い避難してきた学校が使用していたものです。
通勤途中には、放射性廃棄物の仮置場があります。

まだ、私の日常には震災が居座り続けています。そして、あの時の苦しさを思い出させます。それらは、忘れられるなら、忘れたい記憶です。でも、まだまだ無理だなあ。

いつか「震災かあ。そう言えば、そんなこともあったな。」と言える日が来るのでしょうか。まだちょっと、この日をポジティブに捉えることができません。