『学び合い』による授業で私が犯した失敗の一つに「なんで見捨てるんだ!」があります。
どういうことかというと、「友達に聞けないし、周囲もなかなか声をかけられない子」が気になって気になって仕方がなくなり、
「どうして分からない子がいるのに教えないんだ!!!」
と怒ってしまったのです。力づくで学び合わせようとしちゃったんですね。
言うまでもなく、こんな授業は最悪です。『学び合い』でもないのはもちろん、教育ですらありませんね。こんなことをしてしまったら、子どもたちからの信用は急降下。
この時は謝りに謝って、私が何に焦っていたのかを素直に伝えました。
今は、そんな時には
「チャレンジしてね」
と話します。そして、こう続けます。
「仲良しとおしゃべりするのは、まあ、簡単です。でも、それ以外の人に、教えてと聞くことは実に難しい。教えるよと歩み寄ることも本当に難しい。大人でも、できない人がたくさんいるんです。
でもね、聞けない人や教えられない人は、人生で損をします。私はみんなに得をして欲しくて、今のうちから多くの人と関わる練習として、こういう授業をしています。
教わることも教えることも、最初からみんなができるのならば、わざわざ『学び合い』による授業なんてやる必要ありません。4、5人の仲良しだけの学び合いは簡単にできます。でも、見えない壁を乗り越えるのは難しい。難しいからやるんです。そして、難しいことができるようになれば、将来役に立ちます。
みんなならできると思うんです。できるんだから、少しずつチャレンジしなくちゃいけません。そこは厳しく求めます、みんなならできるはずだから。」
こういう話は頻繁にはしません。時々です。ここぞ!という時だけ。普段はあっさり爽やかに「壁を越えるチャレンジしてね」って感じ。
熱く語ることを日常にしてはいけません。濃いものは、飽きられますから。私が「爽やか」を自称するのを冗談だと受け止めている方がいらっしゃいますが、それは大間違いです。普段はあっさり爽やかに求めます。でも、ここぞという時には熱く、濃く。この見極めが重要ですね。