『学び合い』 流動型『学び合い』 学びのカリキュラム・マネジメント アクティブ・ラーニング

nao_takaの『縦横無尽』

小学校教員なおたかのブログです。『学び合い』(二重かっこ学び合い)を実践しています。単著「流動型『学び合い』の授業作り」を上梓しました。お手に取っていただければ幸いです。

感謝しております

しばらく更新を休んでいるにも関わらず、ブログを覗きにきてくださっている方がいらっしゃるようです。解析を見ると100以上のアクセスがあって、申し訳ない気持ちです。ありがとうございます。

感謝の気持ちを込めて、最近考えていたことをメモしておきます。

学びとはもともと、個人的な営みだと思っています。一斉授業であっても、です。

例えば、全員で音読をしたとします。

Aさんはスラスラと読めるので「指名して欲しいなあ」と思って読んでいるかもしれません。

Bさんはスラスラと読めるので「私は読めるのに、どうして練習しなくちゃいけないんだろう。無駄だなあ」と思っているかもしれません。

Cさんは読むのが苦手で「上手に読みたいけれど、どうすればいいんだろう」と困っているかもしれません。

Dさんは読むのが苦手で「読めていないのを先生に見つからないためにはどうすればいいか」に苦心しているかもしれません。

人は一人一人違う、なんて当たり前なのですから、同じような学習をしていても、その中身は全員が違うはずなのです。子どもたちが苦しくなるのは、中身が違うのに、外側を統一しようとするから。全員が「正しい姿勢」で「正しい読み方」をさせようとするから、子どもたちは苦しくなるし、そんなことをさせる教員も苦しくなります。人をコントロールし続けるのは、苦しいことです。少なくとも、私にとっては。

 

どうするかは子どもたちが決めれば良い、というのが私の考え方。

Aさんは友達に聞いてもらってもいい。

Bさんは別の勉強をしてもいい。

Cさんは友達に助言してもらってもいい。

Dさんは他の得意なことを伸ばしてもいい。

もちろん、これとは別のことをやってもいいのです。

 

ここで忘れないようにしているのは、『学び合い』だって「全員が同じことをやるため」の方法になる可能性もあるということ。

「得意な子が苦手な子に教える」

「全員できるまで一丸となる」

そういう姿に押し込めようとしたら、子どもたちは苦しくなりますよね、きっと。

私の役割は、子どもたちがすでに閉じ込められている「学校教育の枠」を少し壊してあげること。けっして「こっちの枠が正しい」と別の枠にはめることではありません。

 

授業はもっと自然な営みできるはず。

そうであればきっと、幼年期の私はあんなに苦しまなかったでしょう。そして、我が子もね。だから、日々、やれることをやっていきましょう。そのために「別のこと」に頭を使っているので、ブログの更新はしばらく不定期になるかと思いますが、ご了承ください。