『学び合い』 流動型『学び合い』 学びのカリキュラム・マネジメント アクティブ・ラーニング

nao_takaの『縦横無尽』

小学校教員なおたかのブログです。『学び合い』(二重かっこ学び合い)を実践しています。単著「流動型『学び合い』の授業作り」を上梓しました。お手に取っていただければ幸いです。

楽にいきましょう

帰省中に、とある市のプールに遊びに行きました。

流れるプールで遊んでいると、泣いている2歳くらい男の子とそれを抱っこする女性がいました。女性は、その先にいる5歳くらいの男の子に一生懸命叫んでいます。

「早く来なさい!戻って来なさい!」

どうやら、弟君がプールで泣いてしまい、お母さんが抱っこして階段から上がったようです。お兄ちゃんは流されて、階段に戻れないし、一人ではプールサイドから上がることもできないし、かといって、お母さんが泣いている弟君を置いてお兄ちゃんのところに行くのも危ないし。さて、困った!という状況のようです。

「こっちに来なさいよ」

お母さんは大きな声で呼びますが、浮き輪をしたまま流れに逆らって進むのは、大人でも厳しい状況。お兄ちゃんはジリジリと流されて、お母さんとの間は3メートルくらい。

私はその状況を察知したのですが、お母さんと会話をするのは難しい状況。仕方ないので、お兄ちゃんに

「上に上がりたいの?」

と聞きました。

「はい」

と男の子。ちゃんと返事ができて利発な子です。私は

「じゃあ、おじさんが持ち上げてあげるよ」

と抱っこしてプールサイドに上げました。また泳ぎ始めた私の後ろからは、母親がお兄ちゃんを叱る声が聞こえてきました。

 

この話、皆さんはどうお感じになるでしょうか。

流れるプールで子どもの手を離した母親が悪い!

でしょうか。

人に助けてもらってお礼も言えない母親はけしからん!

でしょうか。

親の許可なく他人の子に触れたなおたかは非常識だ!

でしょうか。

子どもを助けるなおたかさんステキ(ハート)

でしょうか。

周囲の人間はどうして誰も助けないんだ!

でしょうか。

私だったらもっと上手い方法で助ける!

でしょうか。

 

私はどれも「苦しいなあ」と思うのです。

私が『学び合い』を広めたいと思うのは、「こういうこと」全てが「普通」になって欲しいから。

母親がプールに子どもを連れてきたら、ちょっと手が離れてしまうことも「普通」にあること。

子どものことに一生懸命過ぎて、周囲にお礼を言えないことも「普通」にあること。

通りがかりのおっさんが子どもに関わることも「普通」にあること。

助けたり、助けられたりも「普通」にあること。

困っている人を見逃してしまったり、手を出せない人が大勢いるのも「普通」にあること。

助け方は人それぞれで、どんな助け方でも「普通」のこと。

 

そういう世の中が楽でいいなあ、と思うのです。

今のところは「母親が悪い」って意見が強いのかな。「自己責任」とでも言うのか、「ちゃんと面倒を見られないならプールに来るな!」という考え方の人がいてもいいけれど、でも、それが強過ぎるように感じます。「助けてあげればいいじゃん」と考える人がもう少し増えて欲しいなあ。だから、私にできることの第一歩として、こういう場面に出くわしたら、私は積極的に助けるようにしています。

本当は次の一歩として、

「まあまあ、お母さん、頑張り過ぎなくていいですよー。お一人でお子さん二人をプールに連れて来るなんて、それだけでめちゃくちゃ頑張ってるじゃないですか。ちょっと手が回らなくなっちゃうこともありますよねー」

と言ってあげたいのですが、私が言うと見た目的に不審者になってしまうのでやめておきました。代わりに、ここに書いておきますー。もっと楽に行きましょー!楽に生きましょー!

だって私も、もっと楽にいきたいですもん。