『学び合い』 流動型『学び合い』 学びのカリキュラム・マネジメント アクティブ・ラーニング

nao_takaの『縦横無尽』

小学校教員なおたかのブログです。『学び合い』(二重かっこ学び合い)を実践しています。単著「流動型『学び合い』の授業作り」を上梓しました。お手に取っていただければ幸いです。

毛穴から吸い込む

5年生の授業。ヘチマの実験・観察のために授業時間中に移動することになりました。私は
「整列なんて必要ないよね?」
と声をかけ、バラバラと廊下へ。ほとんどの子は自然な感じで歩いていましたが、ふざけ過ぎてしまった子もいたようです。
観察が終わって理科室に戻ると、数名から
「先生!ふざけていた人がいます!」
との声。つまりは「叱ってください!」という依頼ですね。私はその「ふざけていた人」に
「何かあったの?」
と詳細を聞いてみました。が、まあ、特に事情もないようで、その子も周囲も「こりゃあ、先生に、怒られるな」という雰囲気。
でも私は努めて静かに、こう話しました。
「私は、みんなを『赤ちゃん扱い』したくないんです。大人はちょっと移動するような時に整列しません。みんなも、そんなことをしなくてもちゃんと移動できると私は信頼していました。だから、整列なんて必要ないよね?と言ったんです。でも、ふざけてしまった人がいる。私は、ちょっと悲しいな。できると思っていたんだけどなあ。いや、本当はできるよね?整列なんてしなくて大丈夫だよね?
一度の失敗で、みんなへの信頼をなくしはしません。次はばっちり決めてくれよ」
恥ずかしい話ですが、ちょっと涙が出ました。私は本気で悲しかったのです。きっと、こんなことで悲しくなる私は、頭がおかしいのでしょうけれど。

そんな頭のおかしい私の話を子どもたちが真剣に聞いてくれるのは(それは、聞いているふりも大いに含めて)、私が本気だからです。もし、こういうことを「演技」で語ったら、そのうちバレるでしょう。そんな詐欺師のような教員の言うことは、誰も聞きはしません。皆さん、この語りを真似しないように!って、するわけありませんね。

 

だから、私の実践は「私だけのもの」であり、「あなた」の実践は「あなただけのもの」である、のでしょう。私に「あなた」の実践はできないし、「あなた」に私の実践はできない。当然と言えば当然です。
真似なんてできないのに、それでも私がこうして発信するのは、こういう思いって、伝染するからです。私だって、多くの先人のオーラを毛穴から吸い込んで、染まってきたのですから。もし、私の書いていることが、「あなた」にほんのり忍び込んで、ちょっとだけでも影響を与えられたなら、とてつもなく嬉しいことです。

 

ちなみに、「ふざけていた」その子は、次の授業では、めちゃくちゃ真剣に学んでいて、そのノートを私にも担任の先生にも、自慢げに見せてくれました。私の言葉どおり「次はばっちりきめてくれた」のでした。