授業中、ちょっと騒がしくなっている時には、私はこんな風に声をかけることが多い。
「少し声が大きくなっているね。こういう時は勉強が進んでいないでしょう?ちゃんと自分でコントロールしてくださいね」
「コントロール」という表現は、岩瀬直樹さんの真似っ子。岩瀬さんは「学びのコントローラー」と言うことが多いかな。
若い頃にはこんな時に、
「うるさいぞ!静かにしろ」
なんて怒鳴っていた。ダメなことはダメだとはっきり言うのが大切だと思っていたからだ。舐められたくない、とも思っていたし、舐められないことが重要だ、とも思っていた。
でも、子どもたちを尊重し、信頼して授業をするようになってから、怒鳴ることはめっきり少なくなった。怒鳴る指導は「悪」だとも思っている。怒鳴ってしまった後は、しばらく落ち込む。子どもたちに謝罪をもする。
子どもたちが私の言葉を聞いてくれるのは(聞いているふりをしてくれるのも含めて)、私のそういう態度が多少は影響しているかもしれない。
でも、時々考える。もしも、世の中の教員が誰も怒鳴らないならば、子どもたちは私の言葉を聞いてくれるのだろうか。私の態度をある種の特別なモノと捉えてくれるだろうか。もしも誰も怒鳴らないなら、私の言葉を聞いてくれる子どもはいないかもしれない。ゼロとは言わないが、減るだろうな。
もしもそうなったら、その状況を心から喜べる人間でありたい。そして、実際にそういう状況を作りたいと願って行動している。
私の目標は、特別な教員になることじゃないのだ。