私は、子供集団は有能であると考えている。子供たちのすごさに敬意さえ抱いている。それは、子供たちがやること全てを無条件に許すことではない。子供たちに限らず、人間は皆、有能だけれど、完璧ではないからだ。
「それでいいのかな」
「もっと違う方法はないかな」
そんな風に投げかけることもある。信頼して任せるけれど、全てを委ねはしない。それが私のスタンス。ただ、こういった言葉にも、危険な面がある。教員の言葉の効力は絶大だ。私が投げかけた言葉に、賢くて有能で、そして優しい子供たちは「先生は、違う方法を考えて欲しいんだな」と敏感に反応する。軽く言ったつもりでも、その影響は大きい。
最近、立て続けに「子供に手を握られる」ということがあった。今年の私は、子供たちからそういう存在に映っているのだなとちょっと驚いた。でも、私は子供たちとの身体接触は、極力少なくしている。今日も「嫌がった」と受け取られないように、にこやかにおしゃべりしながら、ゆっくり、そっと手を放した。
その子が私と手を握ろうとしたのは、私が人として立派だからでも、魅力的だからでもない。私が「先生」だからだ。学校の中では、先生は特別。その証拠に、学校以外の場所では、子供が手を握ってくるようなことは、ほぼない。教員は、学校の中では「特別な存在」だし「特別な力」を持っているのだ。
かつては、自分に力があるとは思えない時期があった。子供たちが指示に従ってくれない。子供たちを学びに向かわせられない。そんなことを悩んでいた。でも、それは力の使い方を間違っていたのだ。
「子供たちをコントロールしよう」とすると、教員の力と子供集団の力がぶつかり合う。その結果、私も子供たちも苦しくなっていった。
こんなことは、苦しさの渦中にいた時には分かっていなかったし、もしもその時に
「あなたは、子供たちをコントロールしようとしているからうまくいかないんだよ」
なんて言われても、何のことか分からなかっただろう。分からないから、苦しかったんだもんね。
教員は学校内で絶大な力を持っている。だからこそ、その力は、子供たちを信頼し任せることに使いたい。子供集団の力を抑えつけようとすると、途端に苦しくなっていくから。
と分かったようなことを言いながら、それでも時々、失敗してしまうのだけれど。