『学び合い』 流動型『学び合い』 学びのカリキュラム・マネジメント アクティブ・ラーニング

nao_takaの『縦横無尽』

小学校教員なおたかのブログです。『学び合い』(二重かっこ学び合い)を実践しています。単著「流動型『学び合い』の授業作り」を上梓しました。お手に取っていただければ幸いです。

怖い

東日本大震災直後の学校は、様々なものが行われなかった。入学式も簡素化したし、運動会もなかった。水泳の授業もなかった。この地域には多くの学校になぜか「マラソン大会」というものがあるのだが(42.195キロ走るわけではない)それもなかった。校庭やプールが放射線のせいで使えなかったからだ。遠足もなかった。地域の授業研究会や研究公開もなかった。

色々なものが行われなくても、特に何も困らないはずだった。学校教育の時間は、ほとんどが授業。特に私は「授業第一主義」だから、「授業さえあればいい」「行事なんていらない」と思っていた。

しかし、当時の私は気付いていなかったが、多くの教員と学校と子供たちと、そして保護者も「授業しかない」状況が苦しかったのだ。あの時の学校には、日常を忘れて心の安らぎを得るために、授業以外のモノが必要だった。震災後に被災地の学校が荒れたのは、学校から非日常がなくなり、日常ばかりが占めていたからかもしれない。だからこそ、震災後は、新しい学校を作ることではなく「元に戻すこと」が望まれているのだ。新しい授業でも新しいシステムでもなく、以前と同じ行事と以前と同じシステムに戻したい!それは今でも続いている。

あの頃の私が荒んでいたのも、日常だけの日々がキツかったのかもしれないな。

 

今、「働き方改革」の流れの中で、皆が

「あれが要らない」

「これが要らない」

と叫ぶ。それは本心だろう。じゃあ、もしもその願いが叶って学校が「要るもの」だらけになったら、我々は幸せになるのだろうか。

一方で、今の飽和した学校教育に未来があるとも思えない。

私は、怖い。さて、どうやって立ち向かおうか。