『学び合い』 流動型『学び合い』 学びのカリキュラム・マネジメント アクティブ・ラーニング

nao_takaの『縦横無尽』

小学校教員なおたかのブログです。『学び合い』(二重かっこ学び合い)を実践しています。単著「流動型『学び合い』の授業作り」を上梓しました。お手に取っていただければ幸いです。

黄金!?

今日、鋭い質問を受けた。
「黄金の3日間って、誰にとっての黄金なんでしょうね。
 子供にとっても、自分をアピールするための“黄金の3日間”だと気付いていない先生って多そうですね」

私はこの質問を受けて、「うぬぬ」と唸った。この質問によって、私が長年抱いていた“黄金の3日間”への違和感の正体が見えてきたからだ。

黄金の3日間。一般的には

新年度最初の3日間は、子供たちが新担任の様子見をしている期間であり、教員の指示が通りやすい。こんな状態は最初だけである。したがって、この期間に1年間のルールを決めておくことが不可欠である。

といった意味合いで使われる言葉であろう。(上記のまとめは、私が考えたものである。おかしな点があればご指摘いただきたい。)つまり、黄金の3日間とは、“教員にとって”極めて貴重で重要な3日間ということだ。まあ、そういう面がないとは言わない。私も最初の「所信表明演説」は大切にする。教員が最初に何を語るかが重要だとも考えている。だから「黄金の3日間」という言葉を完全に否定するわけではない。

けれど、こういう言葉には、疑問が湧く。

「黄金の3日間でルールを固めたから、今後の学校生活はスムーズに進むよ」
「黄金の3日間で子供の信頼を得たから、手を握ってきたり、抱っこをせがんできたりする子がでてきたよ。関係づくり、大成功だね」

果たして本当だろうか。

最初に決めたルールでスムーズに生活できることが、本当に良いことだろうか。また、子供が近寄ってくることを喜んでいてよいのだろうか。

前者に対する違和感は、「ルールって誰が決めるものだろうか」という点から生じている。ルールを決めるべきなのは担任だ、という考えを色濃く感じ、「君主制」の象徴にさえ思えてくる。教室を完全な「民主主義」の場にすることは困難だと認めつつ、それでも少しでも民主主義を実現したいというのが私の立場である。ルールは主体者である子供たちが話し合って作っていって欲しい。

後者に対する違和感は、「ここでの関係って、教員と子供の関係しか見ていないでしょう。子供同士の関係がどうなっていくのかちゃんと考えているのだろうか」という点から生じている。これは、なかなかまとめられずにいたモヤモヤだったのだが、冒頭の質問を受けてクリアになったものだ。

最初の3日間で教員との距離を詰められるような積極的でコミュニケーションに長けている子は、クラスのごく一部にすぎない。アピールに成功した子は、担任との距離を身体的にも精神的にも詰めて、クラスの「特権階級」になれる。まあ、そういう子は前年度もそういう立ち位置だったのだろうけれど。そういう子たちがその後の1年間、学級の中心になる。「専制君主制」の確立である。

それがたった3日間で決まってしまうことを、一部の子は掴んでいるのかもしれない。いや、そういう状況を教員が作っていて、一部の子がそこにたまたまハマっただけなのだ、とも言えるだろう。その恐ろしさに、当の本人は気付いているのだろうか。

冒頭の質問には、そういう意図が込められていたのだろう。確かに恐ろしい。そして、その3日間に知らぬ間に「下」(今の子供文化ではなんと表現するのだろう。「隠キャ」だろうか。それとも、これはもう古いのだろうか)になってしまった子のことを考えると、苦しくてたまらない。そういう子にとっては、暗黒の3日間である。

 

これに対して
「そういういじめの構造を生まないために、最初の3日間でルールを決めるのだ。絶対にいじめは許さない、という担任の考えを伝えるのだ」
とおっしゃる方もいるだろう。なるほど、本気でそう思っていらっしゃることは分かる。いじめを許す教員なんていないと信じている。けれど、本当にそのルールは守られるのだろうか。教員が決めたルールなんて、教員がいない場所では守られないのではなかろうか。

 

2学期が終わりを迎えるこの時期になって、クラスの中に「下に見られている子」が生じていないだろうか。
といっても、ほとんどは「いない」という答えが返ってくるだろう。もし、

「あの子は、他の子から下に見られているんじゃないですか?」
と指摘したところで
「そんなことありません」
と否定されるか、
「いやいや、あの子は仕方ないんですよ。だって、下に見られるようなことをしているんですから」
と言われるのがおちだ。でも、それは多分、違う。その子は、そういう立場に追いやられたから、そういう行動をするしかないのだ。そういう役回りを押し付けられたのだ。そこまでの過程を紐解いていくと、黄金の3日間、いや、暗黒の3日間に行き着くのかもしれない。そんな仮説を、私は立てている。