『学び合い』 流動型『学び合い』 学びのカリキュラム・マネジメント アクティブ・ラーニング

nao_takaの『縦横無尽』

小学校教員なおたかのブログです。『学び合い』(二重かっこ学び合い)を実践しています。単著「流動型『学び合い』の授業作り」を上梓しました。お手に取っていただければ幸いです。

取り残されないように

前回のエントリーに対して、様々な反応をいただいたので、もう少し書いておこう。

最近、久しぶりにTwitterを再開した。それは、日本全国に私が存じ上げない『学び合い』実践者がいて、様々な場で活動している様子が分かるからだ。Facebookは「知り合い」以外とは意外とつながれない。Twitterはそれよりは幅が広い。だから、知らない方とも繋がれる。
少し前までは、『学び合い』の会やセミナーが開かれる場合、直接的な面識はなくてもある程度「知っている方」が多かった。けれど、今は本当に全く面識のない方が数多く活動していらっしゃることがTwitterを見ていると分かる。とても嬉しく感じる。


『学び合い』を始めてからの数年は、広まって欲しくない気持ちもあった。それは「この『学び合い』というスペシャルな授業をできる人は多くないだろう!。凄いって言って欲しい!!」という過剰な承認欲求から生じていた。
また、「間違った『学び合い』が広まったら、苦しむ子供が増えてしまう」と言っていたこともあるが、この言葉は浅はかだ。『学び合い』であろうとなかろうと、苦しんでいる子供たちは山ほどいるのだ。『学び合い』以外で苦しんでいても私には無関係だが、『学び合い』で苦しんでいると、その責任の一端を私が背負っているような気持ちになってしまうから、やめて欲しかっただけ。視野が狭かった。
同時に、第三者から
「ほら、やっぱり『学び合い』なんてダメじゃないか」
と言われそうで嫌だったというのもある。こんなのはただの被害妄想だけれど。

 

長年

「『学び合い』はどんどん削いでいくべきものだ!」

「私は『はい、どうぞ』の『学び合い』にこだわる」

と言い続けてきた私であるけれど、そんなことにこだわっていたら、私の方が流れに取り残されてしまうだろう。つまり、誰からも話を聞いてもらえなくなる可能性が高い。話を聞いてもらえないことが問題なのではない。自分が陳腐化していくことを防ぎたいのだ。

一方で、私のような実践者も必要だという確信もある。それは、このまま広まれば「濃さ」の平均値は下がるだろうけれど、「濃さ」を求める絶対数は増えるだろう、ということだ。2月には東京で「濃い人」が私を含めて3人集まる会を行う。きっと今後は、もっと「濃い集まり」が徐々にだけれど増えていくことになるだろう。思えば以前、杉山さんや福島さんと大阪で「濃い集まり」をやろうとしたが、残念なことに、期待したほどには濃くならなかった。若干時期尚早だったのだろうな。まあ、何事も早過ぎるのは、イノベーターの宿命だということにしておこう。

また、「濃さ」を求めるのは、教員だけじゃなくなると予想し、保護者や児童・生徒向けの発信も考えている。これは『学び合い』が健全に広がる上で有効なアイディアだと感じている。ただ、私は発信の素人。プロの編集者さんに相談できたらありがたいな。

 

広がりを止めることはできない。そして、広がりにはプラスもあるだろうけれど、マイナスもあるだろう。プラスを大きくし、マイナスを小さくするために、私に何ができるのか。今は、それを考えて行動しているところだ。