『学び合い』 流動型『学び合い』 学びのカリキュラム・マネジメント アクティブ・ラーニング

nao_takaの『縦横無尽』

小学校教員なおたかのブログです。『学び合い』(二重かっこ学び合い)を実践しています。単著「流動型『学び合い』の授業作り」を上梓しました。お手に取っていただければ幸いです。

技術よりも「在り方」!?

教育に大切なのは技術じゃない。教員の「在り方」が問われるのだ。

度々聞く言葉です。私も言います。一方で、こうも言われます。

何の技術も持たずに子供たちの前に立っても、子供たちは聞いてくれない。

どっちだよ!と言いたくなりますね。

私は、「教育技術」を突き詰めると「理論」に行き着き、理論を突き詰めると「在り方」に行き着き、在り方を突き詰めると「生き方」に行き着くと考えています。

技術は在り方につながっているし、在り方とは教室の中だけでなく、最終的には人生の有り様とつながっている、というのが現時点での私の結論。「生き方」と言っても別に聖人君子である必要はありません。子供たちに聖人君子であることを求めず、人として大切な道を語り、自分もそうして生きていけば良いでしょう。ちなみに、私の場合は「できるだけ多様な人と繋がりましょう」ということです。

若い先生方は、まずは技術・やり方からスタートして良いのではないでしょうか。それをどこまで突き詰めていきたいかは、人それぞれでしょう。

Twitterを再開して面白いと感じているのは「教育技術」から入らず、「生き方」や「在り方」からスタートしている若い方を時々見かけること。

経験という裏付けがない分、年長者からすると浅く見えたり、軽く感じたりするのかもしれません。そのため、

「経験もないのに発信するな」

という批判も目にします。でも、そういう方が年数を重ねていくとどんな風に変化していくのか、私は楽しみに感じます。私なんていつまでも

「私は経験不足です」

と遠慮していたら、40歳を過ぎてしまいましたから。私にもう少し野心や自己顕示欲があれば、違う役割を果たせたかもなー。だから、若くても果敢に発信する方は「偉いなー」と感じます。

一方で、ちょっと齧った「教育技術」を発信している方を見ると心配になるのも事実。数年前にあるセミナーで、

「この実践は先月知って、先週初めてやってみました」

という発表を見て驚きました。それはないでしょう。やってみただけ。ちゃんとご自分の中で検証したのでしょうかね…。1年目、2年目の先生が発信するも面白いですが、それなりの覚悟は持って欲しいと願います。それを見て真似をする人がいて、そこにはクラスの子供たちがいるのですから。私は発信する度に、それを考えてお腹が痛くてなります。ビオフェルミンがお友だちです。

逆に

「1年目に学級崩壊したけれど、2年目にこうして生き延びた!」

なんて話は、私も興味があるし、若い先生のニーズも高いのではないでしょうか。ベテランの「こうあるべき」論よりも有益そうだし、聞いてみたいです。

ただ、そこからさらに高めていくのが難しくなってしまいそうにも思います。

ただ、どこで足踏みするかも、結局は人それぞれでしょうけれど。