『学び合い』 流動型『学び合い』 学びのカリキュラム・マネジメント アクティブ・ラーニング

nao_takaの『縦横無尽』

小学校教員なおたかのブログです。『学び合い』(二重かっこ学び合い)を実践しています。単著「流動型『学び合い』の授業作り」を上梓しました。お手に取っていただければ幸いです。

授業中心が楽

土曜日に授業参観があったため、本日は振休。朝から釣りに行ったり、ショッピングモールに行って衝動買いしたり、レシートを見てちょっと後悔したり、晩御飯のカレーを作ったり、その合間にこうしてブログ記事を書いたりと、のんびりと過ごしている。

今日はのんびりできたが、今週は4日間しかない上に、10連休の影響でやるべきことがギュウギュウに押し込めれれているので、明日からが忙しい。運動会に向けてあれこれやらなければいけないし、連休が終わればさらに忙しさに拍車がかかるだろう。4月当初の授業参観を目処に授業が成り立つ雰囲気を作るものの、5月の連休後はちょっと意識が薄くなるので「クラス作りのやり直し」をする、というのが毎年のパターンだが、今年は例年以上に、連休後の「やり直し」が必要になりそうな気配。ただ、「やり直し」と言っても特別なことはしない。何をするかといえば、「授業」をするだけだ。ただし、『学び合い』による授業だけれどね。

私のクラス作りの核は「授業」にある。学校生活の様々な場面で怒る問題は、「授業」を通して解決する、という意識。例えば、クラスの中で「いじめ」が発生したとする。いじめ解決の肝は、周囲の傍観者をなくすこと。いじめを止められる集団にしなければならない。私は子供達に
「いじめがあることに、周囲が気付かなくてはいけない。そして『それはおかしい』『それは間違っているよ』と声を出さなくてはいけない。国語や算数と同じでしょう。周囲が間違いに気付き、そして『間違っているよ』と声を出す練習を授業でやっているんだよ。授業中にそれをしないでいると、人生で本当に大切な時に助けられない。止められないクラスは、いつか自分がやられる番が来るかもしれない、とビクビクしながら生活するはめになる」
なんて語っている。
また、給食や掃除のトラブルにも
「私は完璧な『解決策』は持っていないよ。先生が教えたり決めたりすると、必ず不公平が生じる。だから、みんなでやるしかないんだよ。もちろん、相談には乗るし、手伝えることは手伝うけれど、でも、可能な限りみんなに任せたい」
という話や
「授業の中で助けてもらえたら、違う場面で『恩』が返ってくる。そうやって助け合える。でも、普段からチームワークを高めていないと、いざという時に助け合えない。だから、決まった人とだけ学び合っていたら損なんだよ。同じ学校、同じクラスで生活している以上、関わりはゼロにならない。だから誰とでもゆるく繋がっておく方がいいんだよ」
という話もする。

 

以前は「最初の3日間で学級のシステムを作り上げる」という方法を取っていたが、それだと、授業では「私は万能ではない。私一人の力より、皆の集団としての力の方が優れている」と言いつつ、生活の場面では「私の敷いたシステムに乗りなさい」と言うことになり、矛盾していた。そのねじれを解消するために、授業以外の場面も授業に合わせるようにしたのである。
そうすると、忙しい時に「楽」なった。以前は、授業以外に「クラス作り」の活動が必要だと思っていた。しかし、時数には限りがある。クラス作りのために授業が進まない、という事態が生じてしまった。そうすると後になって授業を「終わらせること」に四苦八苦するはめになった。一方、授業とクラス作りをつなげて考えられるようになってからは、わざわざ授業を止めてクラス作りを行う必要などない。授業を進めていれば、だんだんとクラスも安定してくるのも経験的にわかっている。

ということで、授業中心は「楽」なのだ。ただ、授業と他の場面の矛盾を小さくするのは、それなりに難しいけどね。