『学び合い』 流動型『学び合い』 学びのカリキュラム・マネジメント アクティブ・ラーニング

nao_takaの『縦横無尽』

小学校教員なおたかのブログです。『学び合い』(二重かっこ学び合い)を実践しています。単著「流動型『学び合い』の授業作り」を上梓しました。お手に取っていただければ幸いです。

ただ悲しいと伝えた

年々、感情的に「怒る」ことが減ってきた。4月は一度も「怒鳴る」ことはなかった。以前は「必要がない」から怒鳴らない、というスタンスだった。今は「怒鳴りたくないし、どう考えても怒鳴るのは間違い」だから怒鳴らない、というスタンス。

 

4月の終わりに、クラスの中で「残念なこと」が起きた。以前の私なら多分、

「絶対に許さないぞ!」

とか

「こんなことがあっていいのか!」

とか怒鳴っていた案件。怒鳴って雰囲気を締めて静かになったところで、冗談を言って緩ませて終わるのが、こういう時の私の指導パターンだった。こんなことをすることが、年に2、3回あった。

でもね、気付いてしまったのよ。私が怒鳴っていたのは、教育的効果を考えていたわけではなく、クラスで問題が起きたことで生じたイライラを発散するため。子どもたちのためと言うよりも、自分のためにやっていたこと。怒鳴ってスッキリしたから、最後にはにこやかに冗談を言っていたに過ぎない。そんな身勝手な行動にも関わらず、優しい子どもたちの中には「指導された気分」になってくれた子もいたかもしれない。でも、同時に、怒鳴られる理由が理解できなかった子もいたことだろう。どちらにしてもモヤモヤした子が多かったに違いない。私だけがスッキリし、子どもたちはモヤモヤする。それが良いなわけがない。

だから、今は怒鳴らない。先日の場合、ただ悲しいと子どもたちに伝えただけだった。だって、悲しかったから。

「俺は、お前達に苦しい思いや悲しい思いをされるために仕事をしているわけじゃない。でも、このクラスに悲しい思いをした人がいる。それが悲しい」

と話した。ちょっと涙が出たけれど、何とか誤魔化した。誤魔化すために冗談を言ったのは、私の成長しないところ。

この行動が良いのか悪いのかは分からない。「時には強い指導も必要だよ!」と言われれば、そうなのかもしれない。でも、したくなくなったのだから、仕方ない。

 

ちなみに、この時に言った冗談は

「平成の最後にこんなことがあって悲しい。こんなことは、令和には、零な!」

である。結構、上手いと思うんだけどなー。