『学び合い』 流動型『学び合い』 学びのカリキュラム・マネジメント アクティブ・ラーニング

nao_takaの『縦横無尽』

小学校教員なおたかのブログです。『学び合い』(二重かっこ学び合い)を実践しています。単著「流動型『学び合い』の授業作り」を上梓しました。お手に取っていただければ幸いです。

担任は寂しい仕事である

今日は運動会。運動会は天候が良ければ、それだけでまあ成功だろう。快晴の下、子供達の頑張る姿が見られるのだから、多くの人にとっては楽しい1日だったと思う。私にとっても楽しい1日だった。

 

さて、昨日書いたとおり、子供達は演技の前に円陣を組んだ。私が関わったのは、

「円陣を組むとしたら、いつですかね」

と聞かれ

「今じゃないかな」

と答えたことと、位置取りが悪かったので一部の子に

「もう少しこっちに来て」

と声をかけて歩いたことぐらい。子供達だけで円陣を組み、掛け声をかけ、元気にスタートした。私はそれを腕を組んで眺めていた。こういう時、担任は入らない方が良いと思っている。私は自分が大好きだから、子供が主役なんて言いつつ、油断をすると自分にスポットライトを当ててしまいがち。でもさ、寂しさを引き受けないと、本当の意味で子供達を育てることはできない思うんだよね。

クラスの中で、私だけが大人。私だけが一緒に卒業しない。私だけが立場が違う。だから、もともと私はクラスで孤独なのだ。子供達が主体的に考えたり、自律的に行動したりするほどに、私は更に孤独になっていく。その時感じる寂しさに耐えられないと、子供達の成長を邪魔してしまうことになりかねない。私が子供達からちょっと離れた位置にいるのは、邪魔しないため。それが私のスタイル。

隣のクラスの同僚に私のスタイルに付き合わせてしまうのはちょっと申し訳ない気もする。でも、若いうちに、担任は寂しい仕事だと理解して欲しいとも願う。その寂しさを引き受けることが大切だと確信しているから。

1日の最後に、私が入らない集合写真を撮って下校。

さて、来週からはまたもりもり学んでもらうことにしよう!