『学び合い』 流動型『学び合い』 学びのカリキュラム・マネジメント アクティブ・ラーニング

nao_takaの『縦横無尽』

宮城県で働く小学校教員なおたかのブログです。『学び合い』(二重かっこ学び合い)を実践しています。2月に単著発売予定「流動型『学び合い』の授業作り」発売

正解のない課題

アクティブ・ラーニングには「正解のない課題」が必要だ。

そんな話を度々聞く。なるほど、その通りだろう。けれど、私の『学び合い』の授業では、正解のハッキリとした課題を出すことがほとんどだ。むしろ、必須だと思っている。それでも、子供達はアクティブに学んでいると思う。

それは多分、私が「正解のある課題」と同時にもう一つ「正解のない課題」も出しているからだろう。

例えば、その学習が(相対的に)苦手な子には「自分がその課題を達成するためにはどうすればよいか考えて学ぼう」というもう一つの課題を出している。その学習が得意な子には「クラス全員が理解するにはどうすればよいか考えて学ぼう」というもう一つの課題を出している。その中間の子には「自分がどうやったら理解できるかを考え、理解できたら、それを人に伝えてみよう」という課題を出している。クラスの子供達は十人十色だから、この「もう一つの課題」はクラスに30人いたら30通りの課題があることになる。(それらの課題をまとめて「一人も見捨てない」と呼んでいる、と言ってしまうのは、ちょっと乱暴過ぎるかな。このことについては、詳しくはまた別の機会に!)

これらの「もう一つの課題」には、明確な正解はない。もし、質問されたら、私も

「こうやってみたらどう?」

とおススメすることはできるが、それが正解かどうかは分からない。むしろ、正解じゃない可能性が高い。

ちなみに、私は度々「課題の中に『先生がやって欲しい方法で理解しよう』という『先生の都合』が内包されている」という失敗をしてしまう。私が思う通りに学んで欲しい、というワガママ。これは「正解が極めて狭い課題」だ。私の思考の幅しか道筋がない。そんな細道を、子供達がアクティブに進むわけがない。

 

この「もう一つの課題」が達成されたかどうかを判断するためには、「一つ目の課題」が理解されたかどうかを見なければならない。だから、一つ目の課題は、正解がハッキリとしたものが必須なのだ。

ということで、私は、「アクティブ・ラーニングには正解のない課題が必要だ」と思っているにも関わらず、「正解のある課題」をせっせと作っているのだ。