『学び合い』 流動型『学び合い』 学びのカリキュラム・マネジメント アクティブ・ラーニング

nao_takaの『縦横無尽』

小学校教員なおたかのブログです。『学び合い』(二重かっこ学び合い)を実践しています。単著「流動型『学び合い』の授業作り」を上梓しました。お手に取っていただければ幸いです。

批判の種

あるところで

起立、礼の号令をなくした学校

についての話題を見かけた。軍隊をイメージさせるということで、使わない学校が増えているらしい。これについて「学校の当たり前を見直すって大切だ」というような肯定的な意見も見たけれど、

  • 子供たちに礼儀が身に付かない。
  • しっかりとした挨拶は見ていて気持ちいい。無くして欲しくない。
  • こんなものから軍隊をイメージする方がおかしい。
  • それなら、行進や組体操こそ無くして欲しい。

などの、否定的な意見も多かった。

 

「保護者の声」や「地域の声」を聞いて学校を変えようとすると、その結果、予想以上の批判にさらされる。こういうことって、何度か見聞きしたことがある。心優しい方々が

「もっと保護者や地域の声を聞いた方が良い」

とアドバイスをくれるけれど、実は聞けば聞くほど迷走してしまいがち。なぜなら、学校に関わる人は、あまりにも多様だから。色々言われ過ぎて、混乱し、教育活動に支障が出たケースも見たことがある。「開かれた学校」と言われるけれど、「もう開きたくない」という学校もあるのかも。そういういじけた態度は何も生み出さないのにね。

 

何やったって、批判の声はゼロにはならないと覚悟すべきだ。批判の種なんて、どこにでも転がっているんだから。一方で、サンドバッグになったら、誰だって精神的に持たない。かと言って、こちらが反撃するのも無理な話。

 

じゃあ、どうすべきなのか。

私の中では、答えはシンプル。学校はサービス業になってはいけないのだ。

「◯◯して欲しい」

と言われれば、

「一緒にやりましょう」

と応えたい。上記の「あいさつ」のケースなら、もしも私が

「礼儀が身に付かない」

と言われたら

「子供たちに礼儀が身に付くように、ご協力お願いします」

と応える。何かをやってくれる方なら、今後もその声を大切にする。言いたいだけなら、まあ、それなりに。

私が思っていた以上に一緒にやってくれる人って多いものだ、というのが、以前、教務主任をやっていた時に感じたこと。

そして、もう一つ。他所にきたクレームを、自分に向けられたモノであるかのように、ビクビクと怖がってはいけないよね。

報道やSNSで学校批判があると、あたかも自分に向けられたかのように、イラっとしまう時がある。そんな必要ないのに。こういう時、自分の弱さを感じて、ちょっと恥ずかしくなる。