『学び合い』 流動型『学び合い』 学びのカリキュラム・マネジメント アクティブ・ラーニング

nao_takaの『縦横無尽』

宮城県で働く小学校教員なおたかのブログです。『学び合い』(二重かっこ学び合い)を実践しています。2月に単著発売予定「流動型『学び合い』の授業作り」発売

何度もやったから

勤務校は二期制なので、「3学期」がないのですが、明日からいわゆる3学期が始まります。

今日はサラッと学年で打ち合わせ。今後の進め方を確認しました。が、きっと忙しいなあ。忙しいのが分かっているので、憂鬱です。妻は私以上に仕事がハードなので、私が忙しくなると、息子と娘にしわ寄せがいきます。娘からは年度末に「次は、6年生担任はやめて」と何度も言われているにも関わらず、6年生担任は8回目。

それだけやったからこそ、6年生担任をやる度に忙しくなっていくのを感じます。そして、学校を忙しくしている原因は、地域でも保護者さんでも教育委員会でも、もちろん子供たちでもなく、学校自身なのもよーーーーーく分かります。

減らしたくないんです。変えたくないんです。ほとんどの教員はね。いや、私だってそういう気持ち、あります。

例えば、「多忙化解消のために、教職員を増やして欲しい」っていう意見。この声の裏側に、削減できない、しない、したくない、という本音が透けて見えます。教職員を増やして欲しいということは、莫大な予算を使ってでも、今やっていることを残したいってことですからね。

「◯◯の簡素化」もそう。簡素化して、スカスカに形骸化しても、今までのものを残したいんです。

「学校はスクラップができない!」と怒っている人だって、怒っている暇があったら、さっさと実現すればいいわけで。スクラップできないのは「学校」だけじゃなくて「自分」なのだと気付かなきゃいけない。「私はスクラップした!」と言っても、実際には「簡素化」程度が関の山。あ、これらは私自身のことだな。わっはっは。

 

結局は、学校が学校である限り、学校は学校を変えられないのでしょう。だって、学校なんだもん。学校が変わるためには、学校じゃないものにならなきゃいけないんだな。だから、学校は限界なのです。

なんて言ったら、色んな人から怒られちゃうな。わっはっは。と、笑ってごまかしとこう!