『学び合い』 流動型『学び合い』 学びのカリキュラム・マネジメント アクティブ・ラーニング

nao_takaの『縦横無尽』

宮城県で働く小学校教員なおたかのブログです。『学び合い』(二重かっこ学び合い)を実践しています。2月に単著発売予定「流動型『学び合い』の授業作り」発売

札幌セミナー終了

今年の「これからの教育を考えるセミナー」が終了した。みゆき会での「反省会」を終え、空港に向かう電車内も、空港でも、飛行機でも、帰宅後も、ずっと「反省」を続けている。

 

今年の私は「中途半端」だった。

初日は時間が足りなくなってしまった。私個人のことだけでなく校内での広がりについても話したが、もう少し整理すべきだった。主張が弱い。

今日は、思い切って削ったら、時間が余った。かなり焦った。20分の持ち時間なので、概要的な話をしたが、具体について多くの質問をいただいた。つまり、具体性がなかったのだ。提案性も中途半端。ちょっと趣旨を掴めていないまま発表してしまった感がある。

 

空港の飛行機を待つ間、あることを思い出した。私は20代の頃、ある附属小の先生の実践を追いかけていた。個人的なつながりのない方なので名前は書かないが、有名な方である。公開授業を何度も見に出かけたし、本を何冊も読み、実践の追試を何度もした。それを「すっかり忘れていた」ことに気付いたのだ。その頃に得た知識や方法を無意識に使っている可能性もあるが、それも僅かだろう。意図的に使わないようにしているのではない。本気で忘れていた。

なぜ忘れたのだろう。忘れるくらいだから、もともとそんなに本気で学んでいなかったのかもしれないけれど。でも、そこに何かが隠れているような予感がある。


また、20代の頃に、「話す・聞く」や「書くこと」で研究授業をして、驚かれたことも思い出した。当時は校内研究として「表現力の育成」が取り上げられることが多かった。にも関わらず、研究授業は「読むこと」ばかり。それを苦々しく感じていた私は、地区の研究会で、敢えて「話す・聞く」や「書く」の授業をしたり、実践報告をしたりしてきた。私の中で「読むことこそ、国語」という意識はない。そんなことにも気付いた。


とにもかくにも、私の弱点だと分かっている「メタ認知能力の低さ」が露呈した2日間だと感じている。「破壊者」と言うより「分かってなくて、踏み潰す奴」なのだ。

私は私のことが分かっていない。

このままでは、かなりまずいと分かっているのだけれど。