『学び合い』 流動型『学び合い』 学びのカリキュラム・マネジメント アクティブ・ラーニング

nao_takaの『縦横無尽』

宮城県で働く小学校教員なおたかのブログです。『学び合い』(二重かっこ学び合い)を実践しています。2月に単著発売予定「流動型『学び合い』の授業作り」発売

成りたいもの、目指すもの

私は、自分自身を「ちょっと授業が好きなだけの平凡な教員」と自己評価している。知識も、技能も「平凡」だ。子供達を惹きつける魅力も特にない。やる気がないわけではないが、全てを投げうって教育に身を捧げようなどとは思っていない。平凡、凡庸、凡人教員である。

私が勤める学校も「普通」だ。地域の子供達が集まってくる、どこにでもある公立小学校である。

 

でも、私のクラスは「普通」ではない。今年は転勤直後なので、かなり遠慮しながら担任してきたが、やっぱり「普通」ではない。今月は、地域の若い教員が4名参観に来てくれたが、驚いて帰っていった。「驚愕」と言っても大袈裟じゃないかもしれない。

今日も、訳あって教室に来てくださった学習支援員さんが

「みんな、こんなに書けるんですね!」

と驚いていた。私は笑顔で

「そうなんです!優秀なんですよー、このクラス!!」

と自慢した。

 

平凡な教員が普通の学校で勤めているのに、普通じゃないクラスになる。そこには何の秘密もない。あるのは理論だけ。『学び合い』の理論である。

私は、『学び合い』の「子供集団は有能である」という子供観とは、言い換えれば「教員は自分の凡庸さを認めつつ、それでもなお、諦めない」ことだと考えている。私は凡庸だ。それでも、全ての子供達を幸せにしたいと願っている。

だから、西川先生のこの言葉が、本当に嬉しい。

高橋さん - 西川純のメモ

私だって、全ての子供達を幸せにするスーパーな教員に、成れるものなら成りたかった。そういうカリスマに憧れたこともある。が、無理だと悟った。可能性はゼロ。しかし、だからと言って、子供達の幸せを諦めたくない。そう思った時、『学び合い』に出会ったのだ。「一人も見捨てない」という言葉が、心に刺さった。

 

とは言え、まだまだ私は「一人も見捨てない教育」を実現できていない。道のりは遠い。今までも、これからも、凡人なりに足掻いていくしかない。先はまだまだ長いから、共に歩んでくれる人が、少しでも増えて欲しい。そう願うのは、きっと私が凡庸で、一人では何も成せないと分かっているからだ。