『学び合い』 流動型『学び合い』 学びのカリキュラム・マネジメント アクティブ・ラーニング

nao_takaの『縦横無尽』

宮城県で働く小学校教員なおたかのブログです。『学び合い』(二重かっこ学び合い)を実践しています。2月に単著発売予定「流動型『学び合い』の授業作り」発売

重さの原因

私の心が重いのは、三度目の挫折が怖いからだ。

 

最初の挫折は、震災のあとだ。東日本大震災を機に教育は変わる!学校は変えられる!と思って懸命に動いた。が、結果は大失敗だった。学校は変わるどころか、どんどん苦しくなっていった。後になって、私の動きが周囲を苦しくしていた面もあるのだと気付いた。

私は昔、熱心に熱帯魚を飼育していた。何年も洗われていない水槽を不用意に掻き混ぜると、底床に潜んだ汚れが舞い上がり、次々と魚が病気になってしまう。私は、淀んだ底床を掻き混ぜてしまったのだ。

 

私は作戦を変え、実績を作ることにした。論文を書き、雑誌原稿を書き、本を書き、そして、学校では量的にも質的にも「他の人が引き受けない仕事」を引き受け続けた。そのおかげで、人の三倍は働けないことを思い知ったけれど(死んじゃいます。)、二倍なら出来ることが分かった。

「意見で大切なのは、何を言ったかではなく、誰が言ったか、だ」

周囲に納得してもらえるだけの「働き方」をしようとした。が、それもあっという間に挫折した。転勤が続き、私はエイリアンになってしまったからだ。おかげで、転校生がいじめにあうメカニズムがよく分かった。私は、人間関係調整力に欠ける。それを大いに恥じた。

 

今回のコロナ事変でも、もちろん、動かないわけにはいかない。授業時数うんぬん、感染防止うんぬん、という話も大切だろうけれど、でも、今年の対応をちゃんとできた学校と、誤った学校とでは、今後の状況が大きく異なるだろう。ここ数カ月「サボった」教員と、「学べなかった」子供集団が、今後どうなるのか。恐ろしい。今年はこのまま何となく進む可能性が高いからこそ、恐ろしい。まあ、エイリアンの私は、真っ先に殺されるんだろう。

 

この状況を「チャンス」と捉えて動いている人を見ていると、私の最初の挫折を思い出す。

「ピンチはチャンス」

私も昔はそんなことを考えたけれど、今は、この言葉が大嫌いだ。私のチャンスの裏に、東日本大震災で多くの方々が亡くなったり、家や故郷を失ったりした人がいたのだ。コロナも同じ。誰かのチャンスのために、誰かが亡くなったわけじゃない。誰かの悲しさを踏み台にして自分のチャンスを掴もうとするような態度は、足元を掬われるのだろう。

 

なんてことをモヤモヤと考えているから、私はずっと心が重いのだ。