『学び合い』 流動型『学び合い』 学びのカリキュラム・マネジメント アクティブ・ラーニング

nao_takaの『縦横無尽』

小学校教員なおたかのブログです。『学び合い』(二重かっこ学び合い)を実践しています。単著「流動型『学び合い』の授業作り」を上梓しました。お手に取っていただければ幸いです。

『学び合い』を広めるということ

単学級の学校で『学び合い』をしていた時にも、勤務校内で仲間を作れるよう、積極的に動いてきた。一人より二人。二人より三人。仲間は多い方が良い。

現任校では、ありがたいことに転勤一年目から、同学年を組んだ先生が『学び合い』で授業をしてくれた。さらには、多くの同僚も『学び合い』で取り組んでくれた。今年も同学年の先生が『学び合い』で授業してれているし、職員室では他の学年の先生方からも「蜜にならない『学び合い』の授業」とか「対面にならずに学び合うようにしているんだけど」なんて話がでてくる。周囲の目をはばからずに『学び合い』で授業ができるって、ありがたい。これでコロナがなければもっとバリバリやれるのになー。

 

時々「なおたかさんは、どうして『学び合い』広めたいの?」と聞かれる。

その質問への答えの一つ目は、我が子のため。我が子が一度でいいから、「一人も見捨てたくない」と願うクラスで学んで欲しいから。

二つ目は、私が楽になるから。『学び合い』を一緒にやってくれる仲間がいると、本当に楽だ。『学び合い』を許してもらうために、今までどれほどのエネルギーを費やしてきたことか!!冗談抜きに、命の危険を感じるレベルで働いていた時期もある。

三つ目は、教え子たちのため。度々言われます、「中学校でも『学び合い』がしたい」って。もちろん、『学び合い』が合わなかった子もいるはずだけど、一斉指導に飽き飽きしている子も多いのだ。今年は2年生担任。来年度以降のことを心配しなくても、大丈夫そうだ

四つ目は、面白いから。若い先生が、私が思いつかないような課題を出したり、声掛けをしたりするのが面白い!以前は、後輩の先生に私と同じことをやらせようとし過ぎてしまったことある。一年前の『学び合い』仙台の会で発表してくれた元同僚のO君が、「高橋先生の物真似をして、失敗してしまった。自分の言葉で語っていなかった」という趣旨の発言をしていたが、それはO君だけが悪いわけではない。私がそうさせていた、という面もあったはずだ。それを反省し、最近では、基本的なやり方は伝えるし、その背景となる理論についても説明するけれど、以前よりも余白を多くしている。だから、一緒にやってくれている先生の個性が色濃く反映される。それが非常に面白いのだ。funnyじゃなくて、interestingの方ね。昨年は、同学年の先生に、課題の出し方を真似させてもらった。今年の先生からは、指示の出し方を参考にさせてもらっている。あとは、熱量の大切さを再確認させてもらったな。若い先生の熱量には、だんだん敵わなくなってきた

 

『学び合い』は一人も見捨てたくないという愛によって行われる授業だ。ある程度の熱量も必要となる。一人では、その熱を保ち続けられない。技術や経験を積み重ねていくに従って、どうしても慣れから慢心が生じるからだ。それを防ぐためにも、一緒にやってくれる仲間は多い方がいい。

そして、それを実感すればするほど、『学び合い』の学校観、すなわち「学校は多様な人と折り合いをつけて自らの目標を達成する経験を通して,その有効性を実感し,より多くの人が自分の同僚であることを学ぶ場である」という考え方に納得できるのだ。

 

ちなみに、私は「広まって欲しい」と強く願っているが、現任校で「広めよう」とはしていない。勝手に広まっている、と言ったらちょっと誤解が生じるかな。私はワガママな性格だから、広めるのには向いていない。それを分かった上で、広めようとはしなくても広がるように戦術を練ったのである。