エール
「あの子を何とかしてあげたい」
そういう強烈な思いを、私は大切にしたい。私が『学び合い』を始めたのも、『学び合い』を続けてきたのも「あの子を何とかしたい」という思いが始まりだ。
でも、言い換えれば、始まりに過ぎない。
あの子を何とかしたいと思っているのに、どうにもできない。苦しくて眠れない夜を何度過ごしたことか。それでも何とかしたいのだ、と諦めず顔を上げた時に、
「ああ、私にはクラスの子供たちがいたのだ」
と気付く。そして
「みんなの力が必要なんです」
とクラスの子供たちに頼む。そうすると、優しくも有能な子供たちは、私の知らないところで、私にはできないことをやってくれる。私のクラスはいつも、そう。いつもこんな感じ。泥臭く、暑苦しい。
最初からスマートに
「みんな、あの子をよろしくね」
と頼めない。いや、頼むことはできなくもないが、それでは多分、うまくいかない。集団が動かないからだ。特定の個のために集団を動かそうとしても無理。
集団が動くのは、それが集団の利益になる時。集団全体というより、集団を構成する個々人の利益と言った方がいいかな。個を救うことが、どうして集団の利益を守ることになるのか、それがどれほど大切なのかをちゃんと語って伝えた時、集団が動き出す。皆がずっと幸せでいて欲しい。その話はもはや、語りではなく、祈りだ。
あの子を何とかしたいと強烈に願い
どうにかしたいとあがき
どうにもできない無力な自分を認め
クラスの子供たちの力を信じ
信じたからには、任せ、
子供たちの幸せを、心の底から祈る。
長い道のりと感じるけれど、でも、特別な力がない私のような人間には、必要なことなのだ。
もちろん、若い先生方全員が、こんな暑苦しい道を歩まなくていい。もっと明るい道を軽やかに進めるのなら、止めはしない。
でも、私は知ってしまった。明るく見える道でも、ちょっと目を凝らせば、暗闇が存在し、そこで苦しむ子供たちがいることを。
あなたもそれが分かっているのなら、そして、「仕方ない」と思うことなく、それでも何とかしたいと願っているのなら、どうか自分の無力さを感じても、諦めないでください。そうすれば、子供たちはきっと助けてくれます。私も過去に何度も、苦しい時がありました。でも、救ってくれたのは、いつも子供たちなのです