『学び合い』 流動型『学び合い』 学びのカリキュラム・マネジメント アクティブ・ラーニング

nao_takaの『縦横無尽』

小学校教員なおたかのブログです。『学び合い』(二重かっこ学び合い)を実践しています。単著「流動型『学び合い』の授業作り」を上梓しました。お手に取っていただければ幸いです。

子供たちには見えないものを見る

若い頃は、子供の目線で考えられる教員が良い教員だと思っていた。子供の気持ちを理解できる先生になりたいとも思っていた。

でも、だんだんと分かってきた。子供の目線と言っても、子供は多様だ。30人に合わせた30通りの目線は持てない。また、ある子の気持ちを慮って行動すると、それが別の子の気持ちを踏みにじることになりかねない、ということも経験から分かってきた。

 

じゃあ、どうすべきなのか。
私が辿り着いたのは、子供たちとは違う立ち位置からクラスの状況を見る、ということだ。子供たちよりも数段高い視座からクラスを俯瞰することで、子供たちには見えないものを見る。それによって、子供たちは気付かないことを見取り、伝えていく。そういうスタンスだ。

そうなると、どうしても子供たちとは目線が遠くなってしまう。寂しい。でも、仕方ない。寂しさに耐え、子供たちとは違う立ち位置にたたずむ。

多くのクラスにおいては担任が考えるようなこと、例えば、「どうやったらあの子は勉強が分かるようになるのだろう」とか「どうすれば、あの子も一緒に学習に参加してくれるのだろう」とかそういうことは、私のクラスでは子供たちが考えてくれるようになる。それは、多くの教員が考えないようなこと、つまりは、「どうやったら、勉強が苦手な子に勉強を教えることが、なぜ自分の幸せにつながるのかを理解してもらえるだろうか」とか「どうすれば、一緒に学習することができない子を仲間として受け入れることが、なぜ自分の幸せにつながるのかを理解してもらえるだろうか」とか、そういうことを私が考えて、伝えているからだ。

どんなクラスであっても問題点が存在するものだと思うけれど、子供たちに見える問題は、子供たちの方が上手に解決できる。子供たちが、私の気付かないうちに問題点を見つけ、いつの間にか解決していることもある。

私は、子供たちに見えない問題点を見つけることを心がけている。そして、それを伝え、解決するように求める。伝わっているなら、子供たちは大抵、解決してしまうのだ。伝わっているならね。

子供たちには見えていないものを見る。そして、それを子供たちに分かるように伝える。これって簡単じゃないけれど、これができると色んなことが変わってくると思う。って言っている私も、なかなか難しいのだけれど。