子供たちに任せる。
主体的な子供たちを育てる。
と言いつつ、私は「任せ方」に気を使っている。学級の経営者は私だ。学級経営の責任は私にある。それを忘れてはならない。このことを私は「任せるけれど、委ねない」という言葉で表現してきた。主体的な学びとか、子供たちを信頼するとか、そういうブーム(?)のせいか、一部の子供たちに主導権を奪われて失敗しているケースをあまりに多く見聞きする。そのクラスは先生も子供たちも不幸になるから、イライラを超えて、発熱してしまうほどに苦しくなる。
担任は子供たちに「この授業は君達に任せるよ」と言ってもいいが、学級内でいじめが起きたときに「普段から君達に任せているんだから、いじめの責任は、君達にあるよ。私には関係ない」とは言えない。担任としての責任がある。
また、「君達に任せる」と言う時、あなたは誰を想定しているだろうか。子供集団全体を考えているだろうか。一部の子に牛耳られて、いいように操られていないだろうか。
「先生、席替えしたいです」
「分かりました。君達に任せるよ」
というやり取りは、子供主体ではない。席替えしたいと言った一部の子に操られているのだ。こういうことは、教室の中で山のように起こり得るし、実際に起きているだろう。
私も、分かっているつもりが、度々やってしまう。何度も繰り返している失敗の一つだ。