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nao_takaの『縦横無尽』

小学校教員なおたかのブログです。『学び合い』(二重かっこ学び合い)を実践しています。単著「流動型『学び合い』の授業作り」を上梓しました。お手に取っていただければ幸いです。

リレーション形成ができない

日曜日に「授業づくりネットワーク」の最新号が届いて以来、何度も繰り返し読んでいる。

授業づくりネットワークNo.36―学級崩壊を問う! (授業づくりネットワーク No. 36)

授業づくりネットワークNo.36―学級崩壊を問う! (授業づくりネットワーク No. 36)

  • 発売日: 2020/08/04
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

この時期に「学級崩壊を問う!」というテーマなのが、私にとっては大ヒットだ。afterコロナとかwithコロナとか言う言葉を聞くけれど、コロナうんぬんじゃなくて、「大学級崩壊時代」が来るんじゃないかと、私は恐れている。東日本大震災直後のように。あの時の私は、自分のクラスを高めるだけで精一杯だった。次にああいう危機的状況がきたら、少しは人の役に立ちたいけれど、はっきり言って自信がない。

 

興味深い記事はたくさんあったけれど、昨日と今日は、巻頭言1「学級崩壊の歴史 〜学級集団づくりの変遷を通して〜(河村茂雄教授)」をじっくりと読んだ。河村氏は、言わずと知れたQUの開発者である。

私の個人的な記憶を紐解いても、また、様々な方の経験談を聞いても、1980年代の校内暴力時代を経て、1990年代は管理的な学級経営が主流だったのだと思う。そのため、ほとんどのクラスがQUで言うところの「かたさのある学級集団」だったと予想している。記事にも書かれているが、かたさのある学級集団は、「管理教育の典型で、学級内に子どもの序列があります。(p14)」。だから、不登校やいじめが大きな問題となったのだろうな。そして、管理的な学級経営に反発し、河村先生が命名した「反抗型」の学級崩壊が起きるようになっていったのだろう。

それが2000年代になると「ゆるみのある学級集団」が増えたのだと言う。(p15)どうしてそうなったのか。私は「体罰」への意識の違いが大きいと思う。私が義務教育を受けていた1980年代後半から1990年代初めにかけては、日常的に体罰は行われていた。私自身、ある先生から顔を下足で踏みつけられたことがある。恐ろしいことに、それほど酷いことをされたという意識はなかったし、その程度で「先生を訴えよう」なんて思わなかった。でも、私が教員になった2000年頃には、体罰をする同僚なんて見なくなった。体罰が悪だと、正しく認識され始めたのだろう。だって、ちゃんと法律で禁止されているもんね。

時には体罰を行ってでもルールの確立を最優先にしていた90年代から、子供同士のリレーション形成を重視する2000年代へ。単純化すればそんなイメージを持ちながら、読んでいた。

と考えると、構成的グループエンカウンターとか、ソーシャルスキルトレーニングとか、ファシリテーションとか、クラス会議とか、『学び合い』とか、これらはみな、リレーション形成を重視する流れの中で取り上げられてきたように思う。私なんて、完全にリレーション形成重視だもん。

 

一方で、多くの教員にとって、この「リレーション形成」が難しいんだろうな、と感じることも多々ある。そして、気を悪くする方もいるかもしれないけれど、若い世代にリレーション形成が苦手な人が多いようにも感じている。2000年以降のリレーション形成重視の教育を受けてきたはずなのにね。いや、受けてきたから、なのかもしれない。リレーション重視だけれど、ルールが確立されていない「ゆるみのある学級集団」で育ってきたからこそ、大人になっても小グループを作り、小さなトラブルが絶えない大人たち。クラスの子供たち相手でも、全員と関われない。一部の子に意識が集中してしまう。うん、当たらずとも遠からずで、笑えないな。

 

ここ数年、ぼんやりと感じていたことが、この本を読むことでクリアになってきた。阿部利彦氏の「問題行動の広がり」に関する分析や、岡崎勝氏の「崩壊学級に応援に入る場合の注意点」などは、私が考えてきたことが間違っていなかったと感じられると共に、もう一段深く考えるきっかけにもなった。坂内さんの原稿も流石の内容だったけれど、身内贔屓みたいで嫌なので、深くは触れないでおこう。

 

これから、ルールの確立が難しい子がどんどん増えていくと私は予想している。だからこそ、トップランナーを育て、そういう子も巻き込めるクラスを作っていく、というのが私の策だ。でも、この策はリレーション形成が苦手な教員には難しいんだよね…。

 

だから、私と違う策でのクラスづくりについて、具体的な話をぜひ知りたい。日々、勉強である。