『学び合い』 流動型『学び合い』 学びのカリキュラム・マネジメント アクティブ・ラーニング

nao_takaの『縦横無尽』

小学校教員なおたかのブログです。『学び合い』(二重かっこ学び合い)を実践しています。単著「流動型『学び合い』の授業作り」を上梓しました。お手に取っていただければ幸いです。

「勉強ってやっぱり楽しいんだな」

昨日、あんなエントリーを書いたせいかどうかは分からないが、今日の振り返りジャーナルに、こんな感じのことを書いている子がいた。

今日は図工をがんばりました。はじめは、ちゃんとかけるか心ぱいだったけど、思ったとおりにかけてよかったです。でも、いちばんたのしかったのは、国語です。国語の勉強をしていたら「やっぱりべんきょうってたのしいんだな」と思って、明日のべんきょうもたのしみになりました。

表現は変えているし、プライバシーに配慮しているが、大筋はこんな感じだ。

こう書くと、私が素晴らしい授業をしているように勘違いされるかもしれない。が、しかし、大した授業はやっていない。

今日の国語は、単元のまとめの市販プリントだった。それを配って、

「じゃあ、明日はテストだから、頑張ってね」

と言っただけ。ただの市販プリントなのに、「やっぱり、勉強って楽しい」と感じてくれる子がいるのだ。ちなみに、今日のジャーナルで国語が楽しかったと書いていた子は、他にも何人かいた。変なクラスだ。

もちろん、ただプリントを配って終わりというだけでなく、それなりのコツはある。学び合うことの大切さは今まで何度も語ってきた。また、時間の設定は「ちょっと足りないかな」というくらいにしている。今日のプリントはやや難しめだったが、ヒントは与えない。ちなみに、今日の算数も練習問題だったのだが、難しい問題があって、質問があったけれど

「ノーヒント!」

と笑って答えた。でも、ちゃんと分かるだろうという見込みを持っている。もし、ヒントを与えなければ無理だと判断したら、ヒントを出す。その瞬間判断が重要である、と言えたら格好いいが、実際は判断ミスしてばかり。今日は、まあ、ノーヒントで良かったと言えるかな。

こういうコツをいくら積み重ねても、「勉強って楽しい」とは、ならないだろう。何が重要かというと「人」なのだ。「このクラス・この人達となら、何をやっても楽しい」。そういう感覚が「やっぱり、勉強って楽しい」の正体。そして、そういう感覚を生み出しているのも「人」なのだ。私という人間が、その感覚を植え付けている。だって、私は思っているもん、「このクラスとなら、何をやっても楽しい」って。ちなみに、クラスの中には、このクラスが嫌いな子もいるだろう。それが健全なクラス。そういう子がいても「一人も見捨てない」のである。

 

私は、自分が異端なのだと分かっている。他の方が、私と同じように考えるべきだなんて思っていない。だから、変な教員が変なクラスを作っている、と笑って許してもらえたらありがたい。