『学び合い』 流動型『学び合い』 学びのカリキュラム・マネジメント アクティブ・ラーニング

nao_takaの『縦横無尽』

宮城県で働く小学校教員なおたかのブログです。『学び合い』(二重かっこ学び合い)を実践しています。2月に単著発売予定「流動型『学び合い』の授業作り」発売

繰り返す

『学び合い』のセオリーは強力だ。もちろん、現実は理論通りにならない面もあるから、『学び合い』による授業を続けるには、理論と現実の隙間を埋める柔軟性が必要なのだけれど(そして、それが非常に難しいんだけれど)、逆に言えば、『学び合い』の理論に照らせば、集団の動きはおおよそ予測できる。

西川先生は度々「水分子」を例にして書かれているが、水分子というのが、私にはよく分からない。なので、もっと単純に説明できるように、

「ボールがたくさん入っているカゴを斜めに傾けたら、どのボールがどう動くかを全て予測することは不可能でも、全体として『◯個くらいはカゴから出そうだ』『これとかこれが落ちるだろうな』『落ちたボールはあっちに転がるだろう』という程度には予測可能ですよね。」

という言い方をしている。

『学び合い』の理論が分かってくると、こういうことを語ったり、投げかけたりしたら、どの子がどう動くかを全て予測することは不可能でも、全体として『◯人くらいは動いてくれそうだ』『あの子やあの子が真っ先に動いてくれるだろうな』『学び出した子供たちはどんどん学ぶだろう』という程度には予測可能なのだ。

 

自分のクラスについては、私自身がクラスの「傾け方」を決めるので、当たり前だが、変な方向に転がらないようにできる。実は昨年度、色々なしがらみがあって、傾け方を他の人に委ねた時がある。で、めちゃくちゃ苦労した。子供たちにも申し訳なかった。だから今年は、私自身の手で、慎重に戦略的に進めてきたつもり。もちろん、理論通りにいかなくて、現実との隙間に片足が落ちる時もあるけれど、まあ、私なりに柔軟にやれたと思う。

 

でも、コロナの影響で、難しいことがたくさんある。私の勤務地は少人数短時間での交流は禁じられていないので、そこそこ学び合う授業がやれているが、やっぱり気を使う。それに、東日本大震災の経験から、子供たちが荒れること、先生たちが疲弊することも予測していたが、予想以上だった。

私はお節介な上に多動なので、

「そんなカゴの持ち方をしたら、危ないよ!転がってはいけない方向へ、転がってしまうよ!!」

と思わず注意してしまうのだけれど、でも、そう思っているのは私だけで、言われている側は理解できない。配膳された給食を運ぶ時に、お盆が斜めになっている子に

「危ないよ。ちゃんと持って!」

と言ってもピンとこないのと同じ。その子はちゃんと持っているつもり。

給食を持っている子供同様に、学級というカゴを持っている教員も、注意する私の声を「え?何のこと?」と思っているし、あんまり言うと煩がられるだけ。過去に何度も繰り返した誤ちだ。

 

言っても無駄なのかな。でも、時々通じる人がいるのも事実。だから、また期待して言ってしまう。が、通じないことの方が多い。それは当たり前。悪いのは、多くの人に通じると勘違いする私なのだ。『学び合い』の理論から言って、通じないことの方が多いに決まっている。

それなのに、ああ、それなのに。また「もしかしたら、次は通じるかも」と期待してしまう。「理論を理解した」つもりでいるのに、やっぱり現実は難しい。隙間に足を取られて派手に転ぶ。これも過去に繰り返したことだ。