『学び合い』 流動型『学び合い』 学びのカリキュラム・マネジメント アクティブ・ラーニング

nao_takaの『縦横無尽』

宮城県で働く小学校教員なおたかのブログです。『学び合い』(二重かっこ学び合い)を実践しています。単著「流動型『学び合い』の授業作り」を上梓しました。お手に取っていただければ幸いです。

正解が正しいとは限らないのだ。

今の私を見ていただければ想像が着くだろうけれど、私は本当に駄目な初任者だった。
朝から子供と遊び、放課後は部活の指導。授業は、試行錯誤と言うより行き当たりばったり。学級経営もグダグダ。周囲にも迷惑をかけてばかり。酷い奴だった。あの時の5年2組の皆んな、本当にごめんなさい。

 

でも、尊敬する当時の教務主任の先生に褒めてもらったことがある。それは、通知票の所見文だ。

1年目1学期の所見文は散々で、最初に出した下書きは、校長に全部書き直しを命じられた。

その理由は、今ではよく分かる。私は、文章を書くことが嫌いじゃないので、「所見文の書き方」みたいな本は一切読まず、自分の感性のままに書けちゃった。だから、使う表現や語彙に「センセーらしさ」がなかったんだな。しかも、当時は下書きも全て手書きだったので、鉛筆で殴り書き。文章を本気で書く時は、頭の回転に手が追い付かない。丁寧になんて書いている余裕はない。それも校長に怒られた。駄目初任者の私は

「読むのはセンセーじゃなくて、保護者じゃねえか!」

「ゆっくり丁寧になんて、文章が書けるかよ!」

と毒付いていた。残念な不正解教員!不適格!

 

けれど、2年目になって、教務主任の先輩に言われた。

「高橋はちゃんと子供を見て、所見を書いているね」

最初はその意味が分からなかった。「子供を見ないで書く」なんてあり得ないと思っていたからだ。ただ、尊敬する先輩に少しだけでも褒められたことが嬉しかった。

 

その意味が分かってきたのは、かなりあとになってからだ。

優秀な先生は「初見文の書き方」の書籍や雑誌を読んだり、先輩の所見を見たりして、早い段階でちゃんと「センセーらしさ」のある文を書く。それができない人は怒られるし、「勉強が足りない」とみなされる。昔の私のようにね。だから、お手本を見ながら書くのが正解。

 

でもさ、お手本を見て書くことと、子供を見て書くこと。私はやっぱり子供たちを見ながら書きたいと思ってしまう。両方同時にやれればイイけど、そういう「やることを増やす」方向性もツラいよね。「どちらも大切」とか簡単に言っちゃう人を、私は信用しない。

 

「正解」を選んで取り組んでいるはずの人が、どんどん苦しくなっているのを、今までに何度も見た。正解が、必ずしも正しいわけではないのよね。不正解多目の教員人生を送ってきた私は、そんなことを思っている。